2006年05月17日

私の父

70歳で認知症と診断された私の父。60歳で定年退職してからこれまでの10年間、彼は、与えられた自由時間をどう過ごしていいかわからず、生き生きとした時間を持つことができないでいた。

退職してからすぐは、ジムへ通ったり、通信教育で英語や習字を始めようとしていたが、結局、どれも夢中になれるものではなかったようで、全部、やめてしまった。そして、毎日テレビをみては、食事をし、昼寝をし、家にいる日々が続いたのである。

母はそんな父を見て、苛立ちを感じ始めた。
何もせずただゴロゴロしている父。今迄一切家庭を顧みることなく仕事一直線で来た父にとって、我が家には、自分の居場所を見出せなかったのかもしれない。なかなか我が家のルールに馴染むことができないでいた。

周囲が「何か始めないとボケちゃうから」と彼に散々提案してきたが、彼はそれらの提言を疎ましく感じていたようで、いつも一生懸命自分にはちゃんとやるべきことがあると、虚勢を張っていたのである。

そんな中、私は、父が何もしないことがそんなに悪いことには思えなかったのである。なぜなら、40年余り拘束され、仕事をしなくてはならなかった父が、その後の自由時間をどう使おうと、それはまさに父の勝手であって、誰にも強制されるものではないと思ったからだ。何もしないで、ただテレビを見て、食事をして、ゴロゴロして、そんな贅沢他にないだろう。私は、一番父に似ている分、父の気持ちがほんの少しだけ、他の家族よりわかるような気がしていた。

だが、それもやはり間違っていたのかもしれない。
私がしたことは、彼を見放し、ますます自由という今迄とかけ離れた世界に一人置き去りにしてしまったように思えてならない。

しかし、それも父が病気になって初めて思えたことであり、入院する直前まで、父と接触するたびに“なんだかむかつく”事が多く、手を差し伸べる気持ちにはなれなかったのである。

面会に行く度に、父が今までの父ではないことを思い知らされる。
彼は、自分が病気であり入院しているということをおそらくちゃんと理解しているだろうと思う。だが、彼の口からは、稟議書がどうだの、総務に連絡が行って問題が起きているだの、部下がどうだの、事業計画がどうだの、とにかく会社にいるかのようなセリフばかりが口から出てくるのだ。そこが彼にとって一番の居場所だったのだろうか…?


父が認知症と診断されるまで、私には認知症の知識が殆どなかった。ただ、認知症の老人を抱えた家族は大変だ、本人は何もわからなくていいけど、ぐらいに思っていたのである。だが、実際は違う。いっぺんに何もわからなくなってしまえば父も楽なのだろうが、まだ、ちょっと話のつじつまが合わないとか、たった五分前のことを忘れちゃうとかそういう症状があるだけで、自分が何者で、どんな人生を歩み、誰が家族で、誰が医師で、誰が看護士だか、きちんと判断できるのだ。ということは、父は、自分の記憶がどんどん低下し、自分が自分でなくなってしまうのを感じ取っているのではないのだろうか。それはどんなに辛く苦しいことだろう…。

先日面会した時、父はいろいろな言葉を使って「ここから出たい」という気持ちを精一杯表現していた。鍵のかかる閉鎖病棟にいるのは、ものすごいストレスだろうと思う。だが、医師が大丈夫と判断するまでまだ解放病棟に移ることができない。私は、父に「もう少しだって先生言ってたよ。もうほんの少しだって。だから、頑張ってね」と声をかけることしかできなかった。すると父は「OK、わかった」と言って、ケアワーカーに面会時間を終えるよう促された為、面会室を出て行こうと立ち上がった。

その瞬間、振り返り、彼は泣いた。
私も息が詰まりそうになった。父の涙を見たのはこれが初めてである。
今迄抑えていた感情が、爆発してしまったのだろうか。父は、涙を見せて面会室から出るのを渋った。そしてまた一旦席に着き「目が赤いと皆に笑われる」といって、「あと一分だけいさせてくれ」とケアワーカーに懇願した。

席に座った父は、一生懸命母に「もう歯ブラシがない」だの「ドライヤーが欲しい」だの話の続きをしようと試みていた。もちろん歯ブラシもドライヤーもきちんと持っているのだ。私は、彼が歯ブラシもドライヤーもほんとに欲しくて言ったわけではないとすぐに思った。まだまだ私達と一緒の時間を過ごしたかったのだろうと…。

私が病気になって一番辛かったのは、身近な人にさえ病気に対しなかなか理解を得られなかったことである。泣きながら訴えてもわかってくれない人はわかってくれないものだ。

だから、私はまず、認知症について理解を深めることから始めようと思う。この先どんな形で父と接していくようになるか現時点ではまだまだ結果は出ていないが、どういう形になるにせよ、理解した上で接していきたいと思う。

今は、ただ、少しでも長く父が私達家族のことを覚えていてくれたらと勝手なことを願うばかりである。

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この記事へのコメント
yukikoさん、こんにちは!

私の両親は自営業でしたので、定年退職の経験がありませんでした。ですから、サラリーマンとして企業に属し、いざ定年を迎えた方の心境と言うのは残念ながら分かりかねます。ただ、銀行員だった叔父を見て思った事がありました。叔父はyukikoさんのお父様同様、定年まで勤め上げた人物ですが、定年間近になってから精神不安定な状態になったようです。

勿論、サラリーマンでなくても認知症や精神不安定には陥ります。そこで私が思う事は、認知症や精神不安定となる背景には、定年退職や自営でも現役を退く事により、自分が世の中からもはや必要とされていないと感じる、焦りや絶望感があるのではないかという事です。その意識を取り除いてやれば、もしかしたら少しでも快復の余地があるのではないかと。お父様のご様子が、少しでも良い方向に向かいますように、お祈りしています。
Posted by Sari at 2006年05月17日 11:03
はじめまして。amiと申します。
 
私の父も認知症を患い入院中です。20年以上別々に暮らしており、
年に2回ほどの帰省が、短くも貴重な時間でした。

父はここ1、2年で私のことが娘だとわからなくなってしまった様です。
今、私は父のことをどれだけ理解していたのだろうという気持ちで
胸が痛くなることがあります。無口だった父・・・もっと色々な事を
話しておけばよかった。父の生い立ちとか、好きな音楽や小説の話を
もっと沢山聞いておけばよかった・・・
 
yukiko



Posted by ami at 2006年05月17日 13:09
すみません途中で送信されてしまいました。

yukikoさんまだお父様もしっかりされていらっしゃるので沢山お話
されて、良い思い出を沢山作ってくださいね。

希望を捨てずに頑張りましょう。
Posted by ami at 2006年05月17日 13:12
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最後までお読みいただきありがとうございました
Posted by shoutapapa at 2006年05月17日 14:03
いろいろと考えさせられました。人生って本当にいろんな事がありますね…私は学生で進路も決まらないまま毎日自分自身の弱さと戦っています。実は、『女の価値は自分で決める』って題も気に入っていて、よく読ませてもらっていますm(__)m価値ある文章ありがとうございます☆
Posted by しおり at 2006年05月17日 16:28
お預かりする側からの意見になります。
日毎に、いいえ、時間毎に彼らの気分や
認知レベルは変化しています。 
まず余計なことをいわない
イニシアチヴを渡す様にする
 
わからなくなるということはひどく不安を伴う、不安は怒りを招く
そういう循環を見極める、ちょっと今日はご機嫌が、と思ったら撤退
 
リハビリは基本的には嫌がられます。自尊心は保持されていますから。
わたし、個人的にお勧めする本はもと高槻市市長の
介護日記です。彼は奥様を何度殺してやろうかと思ったか知れないとお話されていました。

認知症の原因については、定かではなく個体差ではないでしょうか、無為に過ごされている方でも耄碌レベルで歳を取られてゆくこともありますし。
 
今、しかないのです。エピソードや記憶としての過去は彼らの能力維持に役立つ可能性はありますしかし、なぜ、という問いはこの際、無意味です。
Posted by anis at 2006年05月17日 19:53
Sariさんへ
こんにちは。
自分の存在価値を何かでどこかで見出せれば、と思いました。
父にとっては、卒業した大学や働いていた会社の肩書き、それらがすべてだったように思います。引退してそれらがまったく通用しなくなって、喪失感、焦燥感に襲われたのでしょうか。。

認知症にもいろいろ種類があるようで、回復する例もあるそうです。
父がどの種類になるかはもう少し時間がかかるみたいですが、現在のところ症状は軽い方だと言われました。もともと外面の良かった父は、今も身内と病院関係者との区別がはっきりしていて、面会に立ち会ったケアワーカーの人はびっくりしてました。。

Sariさん、ありがとう。
Posted by yukiko at 2006年05月18日 11:50
amiさんへ
初めまして、コメントありがとうございます。
孫を一番最初に忘れ、次に子供、次に連れ合いを忘れるのが順番的には多いという話や、思い入れに関係なく忘れてしまうもの、という話も聞きました。本当に認知症の症状というのは多種多様なようですね。

私の父はもともとおしゃべり。
面会へ行っても一人で喋っています。
もともと人の話を聞かない人でしたが、それに拍車がかかったようです。
でも、まだ相手が私であるとわかっている。それがなくなった時、どんな気持ちで父の話に相槌をうつのか、まだまだ私には想像がつきません。

amiさん、貴重なお話をありがとうございました。
Posted by yukiko at 2006年05月18日 11:58
しおりちゃんへ
自分自身としっかり向き合っているしおりちゃんは、弱くなんかないですよ。本当に弱い人は、現実から逃げようとしちゃうから。
私の文章が少しでもお役に立てたらとっても嬉しいです。
これからもよろしくお願いします☆
Posted by yukiko at 2006年05月18日 12:00
anisさんへ
そうみたいですね、何が原因でどうして認知症になってしまったかなんて誰にもわからないようです。同じ病院に、医師と弁護士の資格を持ち、ずっと仕事をしていたにも関わらず、父と同じ70歳で発症してしまった方がいました。

>わからなくなるということはひどく不安を伴う、不安は怒りを招く
そういう循環を見極める、ちょっと今日はご機嫌が、と思ったら撤退
これはすごく大切なことだと少しずつですがわかってきました。
よく暴力的になるといいますが、それは自分の意志がうまく伝えられなくてその気持ちを汲んで欲しくて怒りをぶつけると。
自尊心が保持される分、辛いのでしょうね。。
Posted by yukiko at 2006年05月18日 12:05
なんだか胸が痛くなります。
うちの父ももう66歳だし・・・。
いつか痴呆症とかになったら・・・と心配になってしまします。

というか・・三十路の私でさえも
物忘れがひどいときがあります@0@
ものを忘れちゃうのってとっても悲しい。。><
Posted by misomiso at 2006年05月18日 22:46
私は今まで、親が(又は逆の立場であって、私が)死んだくらいで、大切な人の事忘れるはずがない、見捨てるはずがないと思っていました。
もちろん、どんなに解らなくなってもそれ以前の気持ちは本当だからどちらかがその事をちゃんと覚えていれば、思いはなくならないけど。
だからこそ、分からなくなってしまうってむごいなと思います。
yukikoさんはお父さんの代わりに、今までの事、これからの事全部覚えててあげてください。
Posted by あつこ at 2006年05月18日 23:25
初めまして
いつもユキコさんのブログ楽しみにしています。
今回思わずコメントしましたが
認知症って最近増えていて
手術で大分治るらしいです。
歩けなくなった方も歩けるようになり
数日前にテレビで特集してました。
不治の病ではないのだから
希望をもって下さい。
お辛いとは思いますが
お父様の支えになってあげて下さい。
Posted by ミカ at 2006年05月19日 01:21
misomisoさんへ
私も物忘れがひどくなってきました。
先生に遺伝性のものかどうか聞いてこようと思ってます。
三日前からずっと森本レオが思い出せなくて、思い出そうとするとなぜか下條アトムが出てくる。夕べやっと森本レオにたどり着きました☆
かなりヤバイ。。
Posted by yukiko at 2006年05月19日 05:57
あつこちゃんへ
そうだねぇ。
どちらかが覚えていればいいこと。
私はこれまで父に対して冷たい娘でした。
それをそのままにしてしまうのだけはやめようと。
できることは精一杯やって悔いのないようにしなくちゃね。
Posted by yukiko at 2006年05月19日 06:00
ミカさんへ
初めまして、コメントありがとうございます。
認知症治療に手術があるなんて、知りませんでした。
やっぱり医学って進歩してるんですねぇ。

そういえば先生が言っていました。
“忘れる”ということはいろんなことを忘れるから“歩き方”も忘れちゃうって。高齢の認知症の人はそれで骨折して寝たきりになってしまうことが多いとか。“痛さ”も忘れちゃうって…
Posted by yukiko at 2006年05月19日 06:04
YUKIKOさん、タレントの名前が思い出せない程度の物忘れは何の問題もありませんよ。もっと重要な普通忘れないようなこと(自分の住所、生年月日、家族の名前、パソコンの起動の仕方等)を忘れたりするのが認知症の第一歩みたいです。

お父様もいずれ退院してきたときには、ぜひ話し相手になってあげる方が必要です。病院や施設にいると人員不足もあり、一人一人に時間をかけられませんから、じっくり話しをきいてあげるというのはなかなか難しいです。
長い時間ひとりでいると、もともとはなし好きのひとは、見捨てられたように感じ、ますます妄想をつのらせたりしたりすることもあります。

うちも退院しなければならなくなったときは大変悩みましたが、そのまま施設に入れなくてよかったと思っています。
Posted by ちゃらじ at 2006年05月19日 16:37
ちゃらじさんへ
以前はできなかったことが、ちょっとできるようになっていて、父の病状はほんのちょっぴりですが、よくなっているようです。
まだまだ私達家族の名前全員分覚えていてくれて、ほっとしています。
退院後については、まだちょっと時間がかかりそうなので、なんとも言えないですが、これから一番大変なのは、母だと思います。私は母の意志を尊重したいと思っています。
Posted by yukiko at 2006年05月20日 06:20
お返事ありがとうございます!私宛てのコメントを見付けて,幸せな気持ちになりました☆今日はこのコメントのお陰で良い日だった♪と言っても過言ではありません(^^)それくらい嬉しかったのです☆考える機会を提供していただいただけでなく,お忙しいなかコメントまでいただけるなんて(^o^)最近欝で薬を飲んでいますが,時間がかかってでもなんとか乗り越えていきたいです(^-^)
Posted by しおり at 2006年05月20日 23:10
私の祖母も認知症が始まり、ちょうどyukikoさんのお父さんに近い症状です。つい最近亡くなった祖父に会わせたところ、祖父の体にしがみついて泣いていましたが、自分の病院に帰る途中でもうすでに忘れていたそうです。なんともやりきれませんね。最後まで祖父に優しくしてもらえなかった祖母は、今やっと怒鳴られる事もなく穏やかな生活をしています。しかしそれは本当に幸せな日々なのでしょうか。なにもかも忘れてしまう事を認識できないでいる祖母に対し、私はただ話を聞いて笑顔をむける事しかできませんでした。遠く離れている今は会いに行く事すらできません。ご両親の近くで生活しているyukikoさんはできるだけ一緒にいてあげて下さい。大切な人のぬくもりや笑顔は何よりの励みになるのではないでしょうか、お父さんにとってもお母さんにとっても。これからより一層大変になってくると思いますがyukikoさんも体に気を付けて無理だけはしないで下さい。
Posted by マロ at 2006年05月21日 01:14
しおりちゃんへ
コメント返しでそんなに喜んでもらえるなんて、私は幸せです。。
しおりちゃん、くれぐれも無理はしないで。
ダメな時はダメでいいし、ダメな時は続かないから。
私も時々なんだかいろいろなことが面倒くさくなっちゃって、投げやりな気持ちになることがあります。そういう時は「あ、あたし、今ウツっぽい」と口に出して認めちゃいます。それでそういう時は何もしないですぐ寝る。2〜3日でまた浮き上がってきます。そんな繰り返しだけど、確実に良くなってるのを実感しています。
焦らず、ゆっくりね。。
Posted by yukiko at 2006年05月21日 20:10
マロさんへ
そうですね。。近くにいる私はなるべく顔を見せるようにしています。
そして面会中は、あまり深刻な顔はしないでヘラヘラしていることにしてます。父がとんちんかんなことを話し、母ががっかりした顔をしてるところで、一発かまして笑います。すると、母もつられて笑い、それをみた父も楽しそうに笑うんです。つじつまなんか全然合ってないけど、笑うことで悪いことなんてないですもんね^^
Posted by yukiko at 2006年05月21日 20:15