私がまだ子供だった頃、家にはテレビが一台しかなく、チャンネル権は父にあった。普段は帰りが遅いのに、野球中継がある日はいつもより早く家に帰ってくる父。私たち子供3人で好きな番組を見ていても、いきなりチャンネルは野球に変わってしまう。大の巨人ファンの父は、テレビに向かって怒鳴ったり拍手をしたり、それはもううるさかった。そんな父の姿を見るのも嫌で、私は野球が大嫌いになった。
だが、高校に入学してしばらく経った頃、「タッチ」を読んでいたく感銘し、私は野球部のマネージャーになってみた。しばらくは、練習の後、皆でラーメンを食べに行ったりと“男の中に女一人”を満喫していたのだが、ここの監督「マネージャーはお手伝いさんじゃない。スコアをつけたり、指示をしたりする存在だ」という方針を打ち出してしまった。私はルールもわからないままスコアをつける羽目に・・。なんだか想像していたのとはまったく違う展開だぞ。程なくして私は「みなみちゃん」になるのを諦めた。
それ以来、野球とは一切無縁の生活を送ってきた。
だが、大人になってからも野球の呪縛からは逃れられなかった。
大好きなドラマを録画しても野球のせいで中途半端に終わってしまう。
本当に野球なんて大嫌い!つくづく思った。
だが、マリンスタジアムが出来てから、近くの会社に勤務していた私は、会社のコミュニケーションの一環として、ロッテの応援に行ったりしたのだが、当時はまだスタジアムは閑散としていて、海風が強く、蒸し蒸しして髪がべっとりとなったのだけを覚えている。選手の名前も顔も何も知らなかった。
それから数年後、たまたまチケットをもらい、気持ちの良いお天気だったので、行楽気分でロッテ対日本ハムの試合を観にいった。生新庄を見たかったからだ。驚くことに観客席はお客さんでいっぱいだった。昔のあの閑散としたムードは全くない。そして、マリーンズの応援団はとても気持ちのいい応援をしていた。ぴょんぴょん跳ねる独特の応援を見ていたら、こちらの気持ちまで弾んできた。
生新庄はやっぱり格好よく、野球以外のパフォーマンスも見せれくれて、さすが新庄だなと思いつつ、ロッテに少しずつ興味が湧いて来た。なんだろう、なんとなく温かい、というかアットホームな感じがしたのだ。
私は、今シーズン、プレーオフから何気なく試合を見るようになった。
ロッテ、なかなかやるじゃん!だ。
バレンタイン監督が画面に映るたび、ツバをペっ、してるのはどうかと思うが(数を数えそうになるくらいやってた)、それ以外は紳士な感じだし、選手同士の結束も固く、いい雰囲気のチームだなと素人ながらに思った。
そして、私は見つけてしまったのだ。キラキラ輝くロッテの星を。
日本シリーズ第一戦、彼はものすごく輝いていた。
私はテレビに向かって、その彼、今江君がホームランを打った時、一塁にスライディングしてセーフになった時、あれほど大嫌いだった父と同じように、「いいぞ!今江!」「よーし!良くやった!」と大きな声でいい、手が赤くなるほど拍手をしていた・・。
マリンスタジアムに風が吹かないのはとても珍しい。
濃霧で試合が中止になるなんて。日本シリーズ史上初のことだなんて。
私が応援なんかしたからそうなっちゃったのかな。
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