パリッとしたスーツに、知的な眼鏡が良く似合う男と知り合った。仕事の話をしている時の彼は生き生きとしていてとても素敵だった。上場企業のエリートサラリーマンで年は3つ上。結婚相手にもってこいだ。運良く二人で話す機会に恵まれ、休日に食事をする約束を取り付けた。“よし!私もやっと年貢の納め時が来た。チマチマ働く生活ともこれでおさらばさ。華麗な専業主婦生活に突入だ”心躍らせ気合を入れて約束の場所へ向かった。
約束よりほんのちょっと先についたので、私は最高の笑顔で彼を迎える準備をした。するとなんだか冴えないおっさんが私に近づいてきた。でも、今嫌な顔をするのはちょっとまずい。彼にどこで見られているかわからない。気を抜くな。そう思い、早くどっか行ってくれと願いながら笑みを絶やさずにいた。
するとそのおっさんが「いやぁ、お待たせ」というじゃないか。え?この人があの人?
四半世紀前のストーンウォッシュのジーンズからのぞく白い靴下。黒い革靴。紺ブレに白髪まじりのボサボサ頭。で、でも、確かにあの眼鏡だ。私は動揺を隠し切れなかったが、“洋服はいくらでも後から変えられる。落ち着け落ち着け”と自分にいい聞かせ続けた。
彼はニコニコしながら「お店は決めた?できればちょっとつまむ程度のお店がいいね。飲茶、いいじゃない。じゃぁ、そこに行こう」と言うので二人で飲茶のお店へ入った。そこは高級なお店じゃない。彼に失礼じゃないかとも思ったが、彼は満足そうだったので安心した。
私達はいろいろな話をした。テレビドラマの話、仕事の話、お金の話。一番彼が熱心に話したのは、いかにお金を使わないかという話だった。「節約?そんなこと言ってる奴はお金なんか貯められない。そういう奴らの為に本を一冊書いてやりたいくらいだよ。今出てる本よりよっぽどいいものが書ける」そう言って彼はピータンを口にした。
このあたりから私はだんだん疲れが出始めた。なぜなら全然笑えない。“笑みを絶やさない”というのがその日の課題だったから、始終私はニコニコ話を聞いていたが、それがだんだん辛くなってきたのだ。だが、それが功を奏したようで、彼は「僕はあまり人に受け入れられないんだ。だから君みたいに一生懸命話を聞いてくれる人と食事をしたのは本当に久しぶり。すごく嬉しいよ」と言ってくれた。その時の彼の寂しげな横顔を見て“私、もしかしたらこの人のこと理解できるかもしれない。きっと私が唯一の理解者になれる。彼の貯金で夢のような専業主婦生活が送れるかもしれないわ”とその時はまだそんな甘いことを考えていた。
だが、やはり彼は難しかった。IT関連の仕事をしているのに家にパソコンがないという。調味料はもったいないから一切ない。そのくらいならまだいい。会社の歓送迎会等は時間とお金の無駄だから一切いかないという。人よりお金の方がよっぽど大事なのか・・。私もケチだが、彼は桁違いのケチだった。
2時間ほど話した後、彼が会計を済ませてくれた。レシートをしばらく眺めた後、店員を呼んでレシートの内容についてもめはじめた。結局和解し、お店を出た。私はこれまでデートの会計の際、レシートをチェックした男を見たことがない。“なぜ今日それをするんだ。今日ぐらいは我慢してくれ”そんなオンナ心は彼には想像もつかなかったことだろう。
彼は車で来ていたようで、私を近くの駅まで送ってくれると言う。“え?車なんてとんでもないんじゃないの?”私の心の声が聞こえたかのように「あぁ、これ?隣のおじさんに借りてきたんだよ。その代わりパソコンの修理をする約束をしてね。今日は帰ったらすぐやるんだ。日曜日の夜は8時には家にいたい。だから、そろそろ帰ろう」とにっこり笑った。「・・・はい。」駐車場料金は800円だった。私は食事をご馳走になったから駐車場料金を払おうとバックからお財布をゴソゴソ出そうとしていた。彼は何も言わず私が財布を取り出すのを待っていた。そして千円札を渡すと「これくらいいいよ」と言いながら受け取った。
彼がもっと私の話に耳を傾けてくれていたら、違った展開があったかもしれない。だが彼は、会話の途中で「僕はね、自分の価値観を否定されるのが一番いやなんだ。それはすなわちこれまでの僕そのものを否定するのと一緒だからね」と言っていたのだ。だから私は言いたいことがあっても、何も言わずただニコニコしていた。その席で激しく議論をするほど彼に対してもう興味はなくなっていたのだ。
「君一人くらいいくらでも養ってあげるよ」この言葉はちょっと魅力的だったが、こういう相手と生活すると常に相手の顔色を伺わなければならないだろう。どうせ一緒に生活するなら、私の顔色を伺ってもらいたいってもんだ。
エリートじゃなくたっていい。
チマチマ働いてくれて、私の話に耳を傾け、くだらない事で笑える相手。そんな相手と一生を共にできればそれで私は充分幸せだ。
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