2006年01月17日

優しくできない…

今日は何位?ランキング応援クリックお願いします☆

1995年の1月17日、この日を忘れられない方は大勢いるだろう。
阪神大震災が起きた日である。

私も、別の、小さな出来事があったので、この日のことは鮮明に覚えている。

朝、目を覚ましてテレビをつけると、映画のワンシーンのような映像が流れてきた。
「一体何が起きたの?」「どこ?」「どうして?」「こんな日なんてこなければいいのに…。」そんな言葉で頭の中はいっぱいだった。

私は、その日スキー場にいた。
彼と、彼の友人カップルの4人でスキーに来ていたのである。
今思うとなぜだかわからないが、部屋は一つだった。
ベッドが二つと和室が付いていて、布団が2組敷かれていた。

友人カップルは、できたてホヤホヤで、いつでもどこでもラブラブモード全開だった。私と彼はちょっとした倦怠期を迎えていた頃で、なんとなくギクシャク。
そんな時、ラブラブカップルと同じ部屋と言うのは、かなりの選択ミスだったと思う。

夜になって部屋に戻ると、私と彼女はそれぞれベッドに横たわり、なんてことない会話をしていた。男同士は部屋でお酒を飲みながら、なんだか会社の人の話をしていたように思う。すると、彼女「やだぁっ、寂しいからこっち来て☆」と甘ったるい言葉を彼に向けて発した。彼はデレ〜っとした顔で「しょうがないなぁ^^」と言いながら、彼女の隣に横たわり、ふたりできゃっきゃっとイチャつきはじめたのだ。

私はそのまま隣のベッドで一人で横になり、私の彼は、ソファで一人お酒を飲んでいた。“私達はもう終わりなのかな…。”私はそう思いながら、早く眠りにつきたいと、目を閉じてじーっとしていた。

ところが先に寝たのは、隣できゃっきゃっと騒いでいた彼女の方で、彼とイチャつけて安心したのか、可愛い寝息を立て始めていた。その彼は、彼女が寝たのを確認して、私の彼の元へ戻った。男同士二人の会話がまた始まったのだ。私は眠ろうと努力していたにも関わらず、意識は男同士の会話に集中してしまい、結果、タヌキ寝入りをする形になってしまった。

この彼の友人、とても優しく思いやりのある人だ。
私と彼がギクシャクしているのをとても心配している様子だった。

昼間、スキーをしている時、私は猛スピードで下りてきたスキーヤーとクラッシュしてしまい、軽い脳震盪を起こしてしまったのだが、彼は、なんだかだるそうに私の元へ来て、休憩所へ連れて行ってくれた。その時のことを友人は言っているらしい。

「お前さ、なんでもっと優しくしてやらないんだよ。あれじゃぁ、彼女が可哀想じゃないか」私は寝たフリをしながら、心臓をバクバクさせて会話に意識を集中していた。彼は一体なんて答えるんだろう…。

すると、彼は「なんかもう自分でもわからないんだけど、優しくできないんだ…。」とポツリと言ったのだ。その言葉は重く、彼も苦しみ悩んでいるのを知って、私はもう眠るどころではなくなってしまった。“もう終わりなんだ”と…。

友人はその後も「そういう時期なのかもしれないな」とフォローをしてくれていたが、彼はもうなにも言わなかった。私も何も言わずそのまま目を閉じていたらいつの間にか眠ってしまったようだった。

起きてみると、ラブラブカップルは、仲良く一つのベッドで寝ていて、私の彼はソファで一人で寝ていた。そして、私がそっとテレビをつけてみると、あの映像が流れていた。こんな日なんてこなければ良かったのに。私は本気でそう思っていた。

“優しくできない”と“愛情がなくなった”は同意語だと私は思う。
事実、私達はスキー旅行からほどなくして別れる事となった。

だが、例え別れることになっていたとしても、あの時、彼の苦渋に満ちた“優しくできない”という言葉を聞かないで済んだら、私は、もっと楽だったのに…と思う。

知らないほうが幸せなことって本当にたくさんあるのだ。

現在12位。目標トップ10!!ちょっと苦しいぞぉ〜
********************************************************
日本ブログ大賞2006←エントリーしています。
ログインして推薦文(短文でも何でもOK)を書いていただけると一票入ります。
お一人一回で、2月14日までの投票総数で賞が決まります。
一票投じていただけると嬉しいです☆よろしくお願いします!
********************************************************

  

Posted by late_bloomer at 23:35Comments(26)TrackBack(0)

2006年01月16日

シングルズの会話

今日はどうかな?ランキング応援クリックお願いします☆


一人暮らしの独身女性が、動物を飼うというのは最近では一般化しているように思うが、実はこれ、女性に限らず男性も増えてきているのである。

シングルズの男子二人も、見事同じ種類の犬を飼っていた。
私も一応犬を飼っているし、三人とも携帯電話の待ち受け画面が愛犬になっている。
そして、飼い主バカ丸出しで「うちの子が一番可愛い」とお互い言い合っていた。
年齢からしたら、本来なら子供の話に花が咲くのであろうが、その代わりに私達は、犬のしつけについてや、犬との出来事についてしばらく話し合っていた。
犬を育てることで、子育て疑似体験をしているのである。

そして、一人の男子が「俺、子供は考えてない。今から子供ができても成人する時もうじいさんだぜ。そんなのいやだもん」と言うと、もう一人の男子が「俺はやっぱり欲しい。たとえ子供が成人した時じいさんになってたって、俺はカッコイイじいさんになってやるからさ」と言った。私もこの意見に一票。

さらに子供は要らないと言った男子が「それに、子供に金使われるのイヤだもんなぁ」というではないか。この男子、親に相当無駄金を使わせたにも関わらず、自分のお金は自分の為に使いたいとぬかした。そこで私が「やっだ〜、信じらんない。じゃぁさ、奥さんに対してはどうなの?自分のお金は自分の為なんて言ってられないじゃない。まさか、“俺の稼いだ金だ”とか言って威張るんじゃないでしょうね」と言うと、今度は、「だってさ、これだけ長く独身してきたらさ、もう小遣いが数万円って決められた生活には馴染みづらいわけよ。家事は一通りできるし、できればずっと奥さんにもガンガン働いて欲しいなぁ」と、二人とも同意見だったのである。

「俺がお前くらい食わしてやる」という気骨なんかどこにもなくて、そういう男性にちょっぴり憧れを持つ私は、時代遅れか?と思わされた。

少子化が進む原因として、女性がクローズアップされることが多いが、こういう男子の意見も実はかなり多いのではないかと思う。

二人で働いて二人で家事を分担して、二人とも自分の好きなことにお金を使う。
確かに魅力的ではあるが、子供がいたら実際はそうはいかないだろうし、二人が忙しかったら二人の時間も少なくなってしまうではないか、と私は思うのだ。

ただ、私も長い間、自分のお金を自分で自由に使ってきたので、まったく自分の収入がなかったら、どうやって自分の好きなものを買ったらいいのか、ためらってしまうと思う。事実、この1年、無職できたわけだが、ご馳走になる事が多くなると、だんだん自分が無力な人間に思え、社会から取り残された気分になり、焦りを感じ始めている。

シングルズ女子の一意見としては、子供はできれば欲しい。そして、生活の為ではなく、自分の小遣いや二人でちょっとした贅沢ができる程度の収入が得られる仕事をして、一緒に過ごせる時間をなるべく取りたいと思うのだが…。

シングルズの中でも、やはり男子と女子では微妙に考え方が違うらしい。。


なかなか票が集まらない…↓あ〜ん悲しい…。
********************************************************
日本ブログ大賞2006←エントリーしています。
ログインして推薦文(短文でも何でもOK)を書いていただけると一票入ります。
お一人一回で、2月14日までの投票総数で賞が決まります。
一票投じていただけると嬉しいです☆よろしくお願いします!
********************************************************
  
Posted by late_bloomer at 20:57Comments(18)TrackBack(0)

2006年01月15日

シングルズ

かなりヤバめの人気blogランキング応援クリックお願いします☆


同級生の男子二人と私の三人は、ちょっと癖のあるシングルで、仲間内では、誰が一番先に結婚にこぎつけるかだの、その三人の中で適当にくっついちゃえだの、あまり嬉しくない注目を集めている存在である。

女の私は、もちろんそんな仲間入りをしてもいいことなんて一つもない。さっさとイチ抜けする気満々で、“あの二人には負けないでしょう”と密かに思っていたのだが、なんと、最後に残ってしまいそうな気配が漂ってきてしまったのだ。

男子二人の内の一人が、地方へ転勤になって戻ってきた。
行く時物凄く寂しそうで、私は心の中で“地方で女の子捕まえて戻ってくるな”と読んでいたのだが、まさにその通り、ちゃっかりいい子を見つけて、今はまだ地方に残してきてしまったが、彼女の仕事がひと段落したら、こっちにすぐ来ると言う。。

もう一人は同棲中で、仲も良く、このままいけばゴールインか?といったところ。
まずいぞ自分、かなり遅れを取ってるぞ…。

このシングルズ、男子二人はさすがに気が合うらしく、仲良くつるんでいたらしいのだが、女一人の私は孤軍奮闘だった。三人だけで集まったことは、実はこれまでなかったのだが、先日、初めてシングルズ三人が一堂に会した。

イチ抜けの彼は、手を挙げて「あ〜、結婚します!」と言い切った。
その時、なんか感慨深いものがあった。同士が巣立っていく姿を垣間見たというか、
こうやって人は変わっていくのだなというか、よくわからないが、今までで一番彼を身近に感じた瞬間遠い存在になったというか、また、彼からこそ学ぶことがたくさんあるのではないか、とか、とにかくいろんな気持ちでいっぱいになってしまった。そして、もちろん寂しくもあったのである。

彼は、地方の誰も知り合いのいない場所で、孤独と闘いながらも、一人、仕事で成果をあげてきたのである。残り二人がいつものようにのほほんと暮らしている間に。。
彼はひと回りもふた回りも私より大人になって帰ってきた。
自信に溢れ堂々としている彼を見て、“あ〜神様がご褒美あげたんだな”と私は思った。

もう一人はというと、あまり変わっていないような気がしないでもないが、やはり男の三十代後半ともなれば、仕事の要。それなりの地位にもつき、やはり以前に比べたら大人になっていた。なんだか私だけ成長していないような気がして、ちょっぴり置いてけぼりをくらったような気がしてしまった。。

このシングルズのこれまでの共通点を考えてみた。

1、そこそこモテた(一人が強調していた)
2、優柔不断
3、若い子好き
4、自分の世界を大切にする

こんなところだろうか。
そして、イチ抜けの彼以外の残りの二人の共通点は、いまだ自己中であることだ。
三人のうち、残りの二人の方が、より性格が似ているのである。
だが、その残りの二人のうち、彼のほうがより優しく思いやりがある。

とすると、一番最後に残るのは…、誰だ?私にはまったく想像がつかん。。

この4項目に該当する方、シングルズの仲間入りは、もうすぐそこですよ。


こちらも苦戦中。。現在11位!目指せ10位以内!!
********************************************************
日本ブログ大賞2006←エントリーしています。
ログインして推薦文(短文でも何でもOK)を書いていただけると一票入ります。
お一人一回で、2月14日までの投票総数で賞が決まります。
ちょっと面倒くさいですが、どうか一票投じてください。お願いします!
********************************************************



  
Posted by late_bloomer at 09:21Comments(37)TrackBack(0)

2006年01月14日

やっべ〜

********************************************************
日本ブログ大賞2006←エントリーしています。
ログインして推薦文(短文でも何でもOK)を書いていただけると一票入ります。
お一人一回で、2月14日までの投票総数で賞が決まります。
ちょっと面倒くさいですが、どうか一票投じてください。お願いします!
********************************************************

派遣社員として働いていた時、私と、26歳の派遣の女の子と、社員のおじさんと3人で世間話をしていたことがあった。

3人は同じチームの人間で、50代のおじさんはリーダー、26歳の彼女は私より随分あとから入ってきた子で、目が大きくてキラキラしてて、仕事は一生懸命で、時には仕事が思うように片付かず、悔し涙を見せるような可愛いところのある子だった。彼女は私の仕事を少し引き継ぐことになったので、私は彼女から受ける質問は何よりも優先し、優しい先輩をしていた。

その3人で何の話をしていたのかは覚えていないが、おじさんが私に向かって「あなたは嫌いな人が多いでしょう?」と言ったのだ。そして、続けて彼女に向かって「あなたはあまり好き嫌いなく人付き合いをしてますね」と言ったのである。

私は心の中で“え?それって私は人嫌いが激しくて問題アリだけど、彼女はいい子だって言いたいわけ?まぁどう思われようといいけど、私はそういうことを平気で言うあんたこそが嫌いなのよっ”と思いつつ、“我慢、我慢”と感情を必死で抑え「う〜ん、そうですかねぇ〜。でも、好きな人もたくさんいますよ」と言ってかわした。すると彼女が「そうですね。私、嫌いな人あまりいないです。っていうか、あんまり人に関心ないんです。それに比べて、yukikoさんは人をちゃんと見てるんじゃないですか?」とフォローしてくれたのだ。

その先はどんな会話が続いていたのか記憶にないが、私は、その時深く考えさせられた。確かに私は人の好き嫌いがはっきりしていて、あからさまというほどではないにしても、嫌いな人には“いやいやオーラ”を放っていた。無関心ではいられなかったのである。

だが、周りを見渡してみると、同じようにそのおっさんを嫌ってはいるものの、表面上まったくわからなく接している人がたくさんいるのだ。
私にはそれがどうしてもできなかった。みんなどうやって嫌いな気持ちを抑えてるんだろう??

そういうところは、数年経った今もあまり変わっていない。
あのオヤジに言われたことは、確かに当たっていたのだ。
私は人を受け入れる幅が狭い。自分でうすうすわかっていたものの、はっきりと言葉で事実を突きつけられて腹が立ったのだ。図星だったのである。

私はそれに気付きながらも変われずにいた。
だって、嫌いなものは嫌いなんだもん、と。

そういう話を友人にしたところ、「あなたは、白しか持っていないの。でも、世の中にはグレーもあるし、ピンクだって黄色だってある。どの色が正しくていい色なのかなんてないのよ。それぞれ違う色が好きだっていうだけで、グレーを好きだと言っている人に、白にしなさいって言う権利は誰にもないの。それを受け入れなくちゃダメなのよ。“ふ〜ん、この人はグレーが好きなのね”って認めることが大切なの。」と教わった。

また目からウロコだ。。
そうだったのか、皆そうやって人を認めてきたのか…。

そう、私は“女の価値”だけでなく、すべての価値を自分中心で決め付けてきてしまったのだ。そんな私が周囲と衝突せずにうまくやっていけるわけがない。
恋愛だってうまくいくはずないじゃないか。。

いろんな価値観があること、認められるものは認めて、そしてそれを受け入れる。
私は、今、やっとそれに気がついたのだ…。

ちょっと遅い。
いや、かなり遅い。。

やっべ〜、早く遅れを取り戻さなくちゃ!!

こちらはいつもの人気blogランキング応援クリックお願いします☆  
Posted by late_bloomer at 14:13Comments(19)TrackBack(0)

2006年01月11日

明治の女

********************************************************
日本ブログ大賞2006←エントリーしています。
ログインして推薦文(短文でも何でもOK)を書いていただけると一票入ります。
お一人一回で、2月14日までの投票総数で賞が決まります。
ちょっと面倒くさいですが、どうか一票投じてください。お願いします!
********************************************************
↑ちょっとうざいけど、2月14日まで続きます^^


私はおばあちゃんっ子だった。
姉と弟に挟まれた私は、必然的に祖母に面倒をかけていたのである。
小さい頃は、私は殆ど祖母と一緒で、祖母が行くところへはいつも付いていった。
そこにはおじいちゃんおばあちゃんがたくさんいて、皆、私の事を可愛がってくれた。

私は小学校の高学年になった頃から父との相性が悪くなり、私は父としょっちゅう言い争いをしては、祖母のところへ行って慰めてもらっていた。
いつもどんな時でも祖母は私の味方で、精一杯私を守ってくれたのである。

だが、祖母とはかなり年が離れていた為か、あまり話らしい話ができなかったのがとても残念である。

祖母の部屋には大きな仏壇があり、その壁には若いハンサムが写った白黒写真が飾ってある。母に聞くと、祖父だという。母が小学生の頃に、屋根を直していて破傷風にかかり、それが元で亡くなってしまったので、私は一度も祖父に会ったことがない。

私は、その写真を眺めているうちに、ふと祖母の一生を知りたくなった。

祖母は、若い頃一度結婚し、離婚していると言う。
母もそのことは知らず、戸籍をみてはじめて知ったと言うのだ。
田舎で離婚した祖母は、一念発起して東京へ出て行き、そこで、ハンサムな祖父と出会った。祖父は祖母よりも16歳も年下だったそうだ。その時代でその年齢差というのは、とても珍しいことだっただろう。さすがうちのばあちゃん。流行の最最先端である。

どうやら祖母の方が熱をあげてしまったらしく、祖父は、奔放に生きた。
いろいろなところに女性を作り、その度に祖母は迎えに行ったと言う。
酒が好きで女が好きでモテたであろう祖父。祖母は、母親のような感覚だったのではないだろうか。そんな祖父に代わって一人お店を切り盛りし、母を育てあげたそうだ。

祖父は、普段は優しい人だったが、お酒が入ると人が変わったように乱暴になった。
そんな時、祖母は母を連れて、ほとぼりが冷めるまで外を歩き回っていたと言う。
だが、祖母は祖父に愛想を付かすことはなかった。惚れた弱みだろうか。。

そんな祖父は48歳という若さで、あっという間に、本当にあっという間に亡くなってしまった。その時祖母はすでに64歳である。祖母は一体どんな気持ちで彼を見送ったのだろうか。

それから33年間、97歳になるまで祖母は生き抜いた。
積極的に外に出て、日蓮宗を信仰し、たくさんの仲間が祖母に会いに来た。
ものすごくしっかりした人で、20年前に一度かけた電話番号をさらっといえるような人だった。最後は、少し寝たきりになったが、私が下の世話をすると何度も「臭いだろう。悪いねぇ」と恥ずかしそうにしていた。人の世話になるのがイヤだったのか、何度も自分でトイレに這って行き、間に合わず廊下を汚した。母にしてみれば、寝ていてくれたほうが楽だったのである。部屋から廊下から全部掃除をしなくてはならなくなるからだ。でも、祖母は自分でしたかったのだろう。何度も母と衝突していた。

その日も祖母は、いつもの場所にいてニコニコしながら私に「行ってらっしゃい」と言い、何か言いかけていたが、私は会社に遅刻しそうだったので、「ん?ごめんね。今時間ないから。じゃ、行ってきます!」と言って家を出てしまった。

午後何時頃だっただろう?
母から会社に電話が入った。祖母が仏壇にお供え物をしている時に、脳溢血で倒れ救急車で運ばれたと。意識不明のままだと。。

私は会社を早退し、病院にかけつけた。
もう祖母の意識は戻ってこないと言う。ただ、心臓が動いているだけの状態だった。
時々痰をとってやったり、手をさすったりするのが精一杯で、何を話しかけても祖母からの返事はなかった。

祖母くらいの高齢者になると、なかなか受け入れてくれる病院はなく、救急車が来てから1時間経ってその病院に着いたという。その話を聞いたとき、やりきれない気持ちでいっぱいになった。“どうせ助からない”そうたくさんの病院が判断したのだ。私のたった一人の祖母なのに・・。

その病院は完全看護ではなかったので、母がずっと付き添っていた。
私が会社から帰って病院へ着くと、母が一旦家に帰りお風呂に入って身支度をしてまた戻ってくる。そんな生活が一週間くらい続いた時だろうか。私も母も疲れていたのだろう。なんてことない事で、祖母が眠っている前で大きな声で口喧嘩をしてしまったのだ。

それを見ていた看護婦さんが、「疲れがたまっているのでしょう。二人ともあまり根を詰めすぎないで」そう言ってくれた。
翌日母は、私が休めるよう、祖母の容態が安定しているのを見計らって、祖母を残し、一旦家に戻った。その時だ。病院から祖母は逝ってしまったと連絡が入ったのは…。

ICUに入ってからたった一週間で祖母はいなくなってしまった。
長い人はその状態になってから何ヶ月もかかる人もいるという。
最期まで祖母は、“迷惑をかけたくない”そんな気持ちが強かったのだろう。
だが、何もたった一人で逝く事はないじゃないか。。

母も私も泣いても泣ききれなかった。
「きっとおばあちゃん、喧嘩してたの聞いてたんだよ」と。

そんな祖母の一生は、“普通の幸せ”とは程遠いものだっただろう。
だが、自分の意志で好きな人と暮らし、自分の意志で最期まで生き抜いた。
今更ながら、祖母は立派な女性だったと思う。

祖母の笑っている写真を見て母が、「私、今のうちに綺麗な写真撮っておこうかな」と言った。今64歳の母。「え〜、もしかしたら90くらいまで生きるかもしれないじゃん、その時、64才の写真を葬式で使うのはちょっとずるいんじゃない?」と私は言った。

立派なのは祖母だけで、その娘と、そのまた娘は“立派”とは程遠いところにいるようだ。。

こちらはいつもの人気blogランキング応援クリックお願いします☆  
Posted by late_bloomer at 22:38Comments(43)TrackBack(0)

2006年01月10日

私は私

********************************************************
日本ブログ大賞←エントリーしています。
ログインして推薦文を書いていただけると一票入ります。
どうか一票投じてください。お願いします!
********************************************************

いつ頃からだろうか。
私が人の目を意識するようになったのは。

久しぶりに高校の同級生にあった。
もう20年来の付き合いになる。途中、音信不通になった時期があったりしたものの、彼の実家と仕事場の間に、私の家がある関係で、ふっとしたついでに思い出したように時々連絡をくれていた。

今回会ったのは、一年ぶりくらいだろうか。
彼は、私が病気になり会社を退職したこと、現在療養中であることなど知らなかったので、その辺りから話が始まった。

彼は中学生の頃、かなりの暴れん坊でお母さんを泣かせてきた人だ。だが、高校に入ってからは、すっかり真面目?になり、学級委員長などをやったりしていた。だが、とにかく気が短い。カッとくるとすぐに手や足が出るタイプだった。
確か20代の初め頃だっただろうか、会って話したとき、「頭に来たらとりあえずゆっくり10数えるようにしてるんだ」と言っていたので、私は心の中で“あぁ、この人も大人になったんだなぁ”などと感慨深く思ったりしたものだ。

私の20代は、とにかく好き勝手なことを自由にやり、楽しくて仕方ない毎日だった。
だが、30代に入る直前に、急に“大人になっていない自分”に気が付いてしまい、とにかく将来が不安で不安でたまらず、焦り、悩み、苦しんだ。そして、“周りの人と同じようにならなくては”というところに行き着いてしまい、そのよくわからない“周りの人と同じ自分”を目指して突っ走ることになった。

その頃、はじめて正社員になり、その会社でパソコンを覚え、英語を勉強させてもらったことをきっかけに、アメリカへ行き、短期留学した。英語は身に付かなかったものの、一つ何かをやり遂げたかった私は、大満足で帰国した。帰国後すぐに派遣会社へ登録に行き、大手外資系メーカーに就職が決まった。派遣社員ではあるが、大手で働いている、という自分は、周りからみたら“普通の大人”と見てもらえるのではないか、私はそう思った。

実際、周りの目はそうだった。
語学留学、外資系メーカー。それだけで「うわぁ」という声をあげる人がたくさんいた。入りたての頃は、誰でもできる雑用係の派遣社員だったのに、である。

そして、その中での私は“きちんとしたデキる人”と思われたい気持ちが強く、上司や同僚に認めてもらおうと必死だった。だんだん仕事を覚え、後輩ができ、仕事を教える立場になると、“優しい先輩”“頼りがいのある先輩”そう思われようと必死だった。

そんないっぱいいっぱいの状態では、恋愛もうまく行くはずもなく、何かすべてがしっくりしていなかった。いろいろな歯車がかみ合わずに空回りしていたように思う。

そして、ついに張り詰めていた糸が切れて病気になった。
それでも私は“早く周りと同じ自分”になることを目指して焦っていた。

同級生の彼が言った。
「お前も変わってないなぁ。相変わらず嫌な奴だよ」と。
びっくりしてしまった。「え?私嫌な奴だった?」そう聞くと「そうだよ、今もおんなじ、嫌な奴だよ。なのに、無理してたんじゃないか。お前はお前、嫌な奴のままでいいんだよ。それを知ってて受け入れる人間がいるんだからさ」と言ったのだ。

“私は自分を見失って無理をしてたの?”
“歯車が噛み合っていなかったのは、そのせいだったの?”

確かに10代、20代の私は、人からどう思われようとそんなことどうでもよかった。
だから、自分らしくのびのび生きられたのだろう。30代になったからって、何も周りと同じである必要はないし、周りから褒められたところで自分が楽しくなければ意味がないじゃないか。

私は長い眠りから覚めたような気がした。

私は私。それで受け入れられる場所で生きていけばいいのだ。
周りばかり気にしてつまらない人生を送ってる場合じゃないのだ。

なんてこった。
まだまだ私は自分の事をわかってないらしい。。

人気blogランキングこちらも引き続きクリックお願い致します☆


  
Posted by late_bloomer at 20:06Comments(27)TrackBack(0)

2006年01月09日

ありがとう

私は、毎朝起きたらすぐにパソコンのスイッチをONにする。
コメントを早く読みたいからだ。

時には、虚しく“0件”と表示されることもあり、そんな時はガックリしてしまうが、たくさんコメントが来ている日は、それだけでとても嬉しい一日のスタートになる。

コメントをいただけるだけでも嬉しいのだが、今朝は、“私の弱さ”についてのコメントの中に、とても嬉しいビッグニュースコメントがあった。以下、引用させていただこうと思う。

yukikoさんこんにちは。
お体心配です。
微妙な変化が心を刺激してしまうのですね。
焦らずじっくりいきましょう。

話は変わりますが、日本ブログ大賞2006」というのが開催されていて、そこの読み物部門にyukikoさんのBlogを勝手に登録してしまいました。
推薦という形で。
もし、心に負担がかかるのであれば、このコメント自体消していただいて結構です。
詳しくは↓をご覧ください。
http://www.blogaward.jp/

yukikoさんのBlogなら、1位も可能だと思っています。
タイミングが悪かったかなとも思っていますが、ケータイ書籍としての発売のチャンスもあるので、良かったら見てみてください。

以上コメントより


私のブログを推薦してくださった上、体調まで気遣っていただき、コメントを消してもいいとおっしゃるあさひさん。本当にこのコメントを読んだ時、嬉しくて胸がいっぱいになり、じんわりと涙が滲んできてしまった。。

私はブログ大賞の存在も知らず、ましてや推薦いただいているなど考えもしなかったこと。あさひさんにどんな言葉で感謝の気持ちを表せばいいのか言葉がみつからない。言葉にすると軽くなってしまうかもしれない、でも、やはりこれしかない。

“ありがとう”

このあさひさんの推薦によって、私は一歩前に進むことができるかもしれない。
例え大賞がとれなくとも、何かのきっかけになるかもしれない。
チャレンジしてみようと思う。頑張ってみようと思う。

私のブログを読んでいただいて、少しでも何か感じるところがありましたら、
日本ブログ大賞へ一票投じていただけますよう、よろしくお願い致します。
(ログインして推薦文を書いていただけると一票入ります)
投票の締め切りは2月14日です。

読み物部門 応募総数 381 現在 120位
投票はあさひさんと私の2票です。

皆様の力を貸してください。
よろしくお願いします。

こっちはいつもの人気blogランキング欲張りかな…、クリックお願い致します☆  
Posted by late_bloomer at 12:24Comments(27)TrackBack(0)

2006年01月08日

私の弱さ

3週間ぶりに診察を受けてきた。
この3週間にクリスマスはあり、お正月はあり、その他モロモロの事件があり、私は、自分で思っていた以上にパワーを使ってしまったらしい。先生と向き合って話をしている間中涙が止まらなかった。先生はいつも以上に優しく、私がポツリポツリと話し出すのを待ち、耳を傾け、真剣に応えてくれた。

結局、私は点滴を受ける前の状態にまで戻ってしまったらしく、また、そこからやり直しになってしまった。といっても点滴は大変だったので、効くまでに時間はかかっても同様の成分が入った薬を出してもらうことになった。

この病気は、何もなく毎日平穏に暮らしていれば、悪い波が来ても、必ず前進する病気である。だが、ちょっとした環境の変化に敏感に反応し、自分の知らないところで使ってはいけないパワーを使うことで、元に戻ってしまうことがある。強い薬のおかげでここのところ、また眠る毎日になってしまった。せっかくいい調子だったのになぁ…。

私の悪い癖は、どんな言葉もすべて真正面から受け取ってしまい、スポンジのようにすべてを吸い取ってしまうことだ。嬉しい言葉も嫌な言葉もどんな言葉もすべて受け入れてしまう。

嫌な言葉の中には、根拠も何もなく、ただ口がすべって言ってしまったことだってあるだろう。嬉しい言葉の中にも、もしかしたら本心で言ってないことがあるかもしれない。だが、私にはその取捨選択する能力が欠けているのか、誰かが発した言葉をそのまま飲み込んでしまうことしかできないのだ。嫌な言葉は右から左へ流してしまえればいいのに。。

これが私の弱さだ。
自分の周りで起こった嫌なこと、これを全身で受け止める必要なんかない。
そして、それをいちいち頭の中で反芻する必要などないのだ。そんな作業ばかりしているから、余分なパワーを使い、勝手に疲れてしまうのだ。

今年の目標に、また一つ加えなければいけない。
スポンジではなく軽石になれ!だ。


ところで、つくづく精神科医との相性は大事だと思った。
そして、もしかして、真剣に先生を好きになってしまうケースがあるのではないか?そう思った。私のような病人にとって、先生は一番の理解者に思えるからだ。幸か不幸か、私にはそこまでの気持ちは先生に対して持っていないが、二つに分けるとしたら、間違いなく“好き”グループに入る。

以前、姉がスイスで子供を出産した時、「スイスではね、自分の好みのタイプの産婦人科医を選びなさいって言うのよ」と言っていたのを思い出した。
確かに医師と患者の間には、必ず相性がある。それが嫌いなタイプだったら、お互いに苦痛であろう。

それにしても、産婦人科医が自分の好みのタイプだったとしたら・・・、
まぁ、嫌いな人には見せたくなくても、好きなタイプだったら思い切って見せられることもあるのかもしれないが…、かなりドキドキしてしまいそうだ。

う〜ん、私は、産婦人科医は話が合う女医さんがいいかなぁ。。

前半と後半で随分話が違うな、の人気blogランキングクリックお願いします☆  
Posted by late_bloomer at 18:06Comments(17)TrackBack(0)

2006年01月07日

最終章・決着

太郎君と花子さんは、最後の最後まで罵り合いました。

太郎君は少しでも出費を抑えたい。花子さんは、罵声を浴びたこと、既に女の人とベッドを使っていたことなどから、ベッド代を返してもらうことで太郎君に誠意を見せて欲しい、この二つの意見がぶつかりあって、最後までお互いを罵り合うことになってしまったのです。

ベッド代の20万円を巡っての攻防戦。
もし、はじめからそんな高価なベッドを親に買ってもらっていなければ・・・。
もしかしたら、二人の最後はもっと穏やかなものになっていたかもしれません。
花子さんにとっては、唯一の親からの高価な贈り物。こだわってしまいました。
太郎君にとっては、どうでもいいベッド。。どちらも譲らないままでは、話し合いは長引き、もっと泥仕合が続いていたでしょう。

花子さんは思いました。
買ってくれた父親には本当に申し訳ない。
けれど、これにこだわってもっともっと長い時間苦しむよりは、ベッドを廃棄処分してもらって、敷金を返してもらい、さっさと引越ししてもらうのが一番だと。
そして、この件を少しでも早く忘れ、元気になり、幸せになった姿を親に見せるほうがいいと。花子さんは自分のこだわりが過ぎた事にやっと気付いたのです。

結局、敷金の返還・引越し・ベッドの廃棄、この3つをしてもらうことで、話がまとまり、泥仕合は終わり、二人の関係も終わったのでした。


恋愛に終わりが来ることは否めない。
どんなに苦しい終わりであっても、相手を罵り合う事さえしなければ、いつか一つの淡い苦い思い出と化し、“あ〜、あの人元気かな?”と思い出すことになるだろう。

だが、今回のような泥仕合にまで発展してしまうと、それまでの二人の時間はなんだったのだろう、なんであの人と付き合ってしまったのだろう。そんな気持ちにさせてしまいかねない。

どんなに時間がかかったとしても、太郎君も花子さんもいつか、“二人でいた時間は決して無駄ではなかった。いい思い出だった”と思えるようになって欲しいと思う。

男と女は難しい…。そうだねぇ、の人気blogランキングクリックお願い致します☆

  
Posted by late_bloomer at 15:07Comments(20)TrackBack(14)

2006年01月04日

続 ベッド 遅すぎた花子さん

4年ほど前、さやかさんは正さんと同棲していました。
にも関わらず、さやかさんは別にも部屋を借りていて、そこで強さんとも平行してお付き合いをしていました。いわゆる二股ですね。

その頃、太郎君はみかさんと一緒に暮らしていました。
太郎君の生活は落ち着いていたのでしょうか。太郎君は、英会話学校へ通いだしたのです。ところが太郎君は、そこで英会話を身につけるより先に、さやかさんと出会い、恋に落ちてしまったのです。もう英会話どころではありません。

太郎君はさやかさんと急接近し、なんと、みかさんと暮らしているその部屋にさやかさんを連れ込み、関係を持ってしまったのです。そして太郎君は、さやかさんに夢中になってしまいました。もうみかさんのことなどどうでもよくなってしまったのです。

太郎君はさやかさんに、「正式に付き合って欲しい」と申し込みましたが、さやかさんは太郎君と関係は持ったものの、お付き合いをすることは頑として受け入れませんでした。それもそのはずです。さすがのさやかさんも、同時に三人とお付き合いするのは大変だったのでしょう。それでも太郎君は必死になってさやかさんを口説きました。

そして太郎君は、気持ちの無くなったみかさんに、「好きな人ができたから別れて欲しい」そう告げたのです。二人が一緒に暮らし始めてからたった3ヶ月目のことでした。みかさんはもちろん逆上しました。包丁を太郎君につきつけたのです。

みかさんは、太郎君と結婚するつもりでした。
北海道に住む両親に太郎君を引き合わせ、太郎君の家族とも一緒にみかさんは温泉旅行にもいっていたのです。まさに青天の霹靂です。みかさんでなくとも、包丁をふりかざしたことでしょう。幸い事件には至りませんでしたが、みかさんが深く傷ついたのは言うまでもありません。そうやって、みかさんと太郎君は同棲を解消したのです。

でも、太郎君のさやかさんへの想いは叶いませんでした。太郎君は、さやかさんを憎むことで彼女を忘れようと必死になりました。でも、叶わぬ恋ほど人を燃え上がらせるものはありません。太郎君はさやかさんを憎もうとしましたが、結局、憎みきれませんでした。

それから3年の月日が経ち、太郎さんは花子さんと出会いました。
花子さんは自分の意見を持ち、意思表示をはっきりする女性です。太郎君も自分の意志をはっきり言います。二人はたくさん衝突しました。けれど、衝突すればするほどお互いを知り、二人の関係は良くなっていったのです。

ところがあるきっかけにより、太郎君はさやかさんと連絡を取ってしまいました。久しぶりの電話をかけるのに、太郎君ははじめて花子さんに嘘をつきました。「先輩に電話しなくちゃ」と。太郎君の心にふっとさやかさんが舞い戻ってきてしまったのです。ですが、太郎君はその時はさやかさんになびきませんでした。なぜなら、その時太郎君は、はじめてさやかさんが子供を産んでいた事を知ったからです。

さやかさんは、はじめに強さんの子供を身ごもりました。しかし、強さんは受け入れてくれなかったのです。さやかさんはその子を堕胎するしかありませんでした。

その後さやかさんは、なんと今度は正さんの子供を身ごもってしまったのです。二人はその頃あまり上手くいってなかったのですが、子供ができたことをきっかけに、正さんとさやかさんは入籍したのです。ですが、二人の結婚生活は長く続きませんでした。

さやかさんは、子供を抱え実家を頼って田舎へ帰りましたが、両親は激怒し、さやかさんを優しく迎えてはくれませんでした。普通の親ならそうするでしょう。さやかさんは奔放すぎたのです。求められたら体を預け、快楽に溺れ、子供ができてしまうことさえわからなかった。。

しかし、親というのはどんな子供でもやはり可愛いもの。
孫の姿を見てから、さやかさんのことを少しずつ援助していくようになりました。
さやかさんは、正さんからの養育費と、慰謝料でしょうか、貯金があり、そのお金で細々と暮らしていました。

そんな時です。どういういきさつがあったのかわかりませんが、太郎君はさやかさんとまた連絡をとるようになってしまいました。太郎君は、大好きだった人が、今、一人で苦労している。そして、今度は自分を受け入れ頼ってくれている。もう太郎君の心を誰も止めることはできませんでした。

さやかさんは、花子さんと違い、何でも太郎君の言うことを聞いてくれる女性でした。太郎君が行きたいところ、したいこと、すべて逆らわず一歩引き、男性をたてる女性でした。花子さんは、何でも対等に話し合おうとします。ですからおのずと衝突が多くなってしまうのです。そんな花子さんは、太郎君にとって安らげる相手ではなかったのでしょう。太郎君の気持ちは4年前に戻ってしまったのです。

体の関係があったさやかさんと太郎君が付き合い始めるのに時間はかかりませんでした。あっという間に、花子さんと暮らしていたアパートで、太郎君とさやかさん、そして、さやかさんと正さんの間の子供との三人暮らしが始まっていたのです。

花子さんが、そのアパートの部屋を見たとき、一体どんな気持ちだったでしょうか。

部屋にはたくさんの子供のおもちゃがあり、まるで、三人は家族として、もう何年もそこで暮らしているかのようでした。そして花子さんのお父さんが買ってくれたベッドと、花子さんと太郎さんが二人で買った枕と布団には、まったく別の新しいカバーがかけられていて、二人がそのベッドで寝ている事実を知ってしまったのです。
花子さんは打ちのめされ、我を失ってしまいました。

でも、よく考えてみてください。

三人の男性と同時に関係を持つことができたさやかさん。
みかさんと同棲していた部屋に、そのさやかさんを連れ込んでいた太郎君。
この二人だったら、ベッドを誰が買おうが使おうが、気にするわけがありません。

花子さんの本当の苦しみはそこから始まったのです。
なぜ、太郎君を信じてしまったのだろう。
なぜ、太郎君と一生懸命続けようと頑張ってしまったのだろう、と。

価値観が合うはずがありません。
なぜなら、花子さんは同時に複数の男の人と付き合うことなどできないし、誰か他の女の人と使っていたベッドで、平気で眠れる女性ではなかったからです。

事実、太郎君と一緒に住むことになった時、太郎君が持っていたダブルベッドは捨ててもらいました。なぜなら、太郎君がそのベッドで他の女性と寝ていたからです。だから花子さんはベッドだけは無理してでも新しいものが欲しかった。そして“お祝い”という言葉を使って自分の父親に甘えてしまったのです。それだけ他の女の人と一緒に寝ていたベッドだけは使いたくなかったのです。

その思いを、太郎君とさやかさんが理解できるわけがありません。
二人は誰が使ったベッドだろうと問題ないと考える人達だからです。

花子さんは、気付くのが遅すぎました。
もっと早く気付いていれば、花子さんが死んでしまいたいと何度も思うほど傷つくこともなかったでしょうに。。



正月明けからちょっと話が暗すぎないか?の人気blogランキングお叱りのクリックお願いします☆

  
Posted by late_bloomer at 22:08Comments(49)TrackBack(1)