2005年11月20日

甘えてもいいですか?

本当に久しぶりに、子供のように声を出して泣きじゃくってしまった。
自分で自分の感情のコントロールができず、涙が後から後から溢れてきた。
今までなんとか保ち続けてきた「どんな私だって価値がある」というプライドが壊れてしまいそうだった。

私はパニック障害から鬱病を併発した、精神疾患患者だ。
絶対治すという気持ちを持ち、いろいろな波を受け止めながらも必死になってここまでやってきた。点滴治療の効果も上がっていた。そんな私を、先生が一番心配しているのは、私が何もかも早く先に進もうとすることだ。「とにかく徐々に徐々に慣らしてください。体力も落ちてるし、いっぺんに先へ進もうと思わないように。まだ2〜3ヶ月は午前中はゆっくりし、午後から予定を入れて無理をしないことを心がけてください」と常に念を押される。だが私は、調子がいいとすぐに先生の言いつけを破り、やりたいことをどんどんやってしまう。自分の体のことは自分が一番知っているから、と。

友人との楽しい時間を共有し、ゴルフの練習場へも行き始めた。
それでも体調は悪くならない。私は“もともと私は精神が病んでるのではなく、ストレスが体に出ちゃうだけ。“私なんて・・。”と落ち込んだり自分を卑下することはない。体さえ軽くなれば治ったも同然だ”そう固く信じてきた。なぜならそう信じることで、乗り越えられたことがたくさんあったからだ。

実際、2ヶ月も寝込んでいた頃から比べたら、考えられないくらいの回復を見せているし、悪い波が押し寄せてきても、横になっていればいい、じきに波は去る。そう思ってやり過ごしてきたのだ。私の治療は順調に進んでいる。私は弱くない。だが、そんな気持ちが壊れてしまうことが起きてしまった。

友人に旅行に誘われた。
今まで行ったことのない土地で、ここ数年の間で一番遠い場所だ。
おそらく先生に言えば止められただろう。まだ無理だと。
だが、紅葉を見たり温泉に入ったりすることを考えると、私の心はウキウキしていた。そして、よし、行ける!と私は判断した。この判断こそがすべての元凶だった。

当初友人は、土日のお休みを利用しての日程を希望したが、直前に浮かび上がった話だった為、どこの宿も満室だった。土日であればこの季節、どこも行楽地は混んでいるだろう。渋滞も免れない。そんな心配が心の片隅にあった。だが、部屋が取れなかったことで、ほっとした私がいた。だが日程が変更になり、日月に確定した。すると、だんだん私の中に大きなプレッシャーが押し寄せてきた。
“私、本当に旅行に行くんだ”と。

荷物をまとめ、着ていくものを選び、出発の準備をすすめていくうちに、だんだん体が重くなっていった。“今調子悪くなるのは困る。昼寝して体調を整えなくちゃ”そう思いひたすら眠った。だが、体の重さは変わらなかった。

友人と最終打ち合わせの為に夕食を共にした。
私はだんだん気分が悪くなってきた。そして既に心の中は“明日旅行に行くのが怖い”という気持ちでいっぱいになってしまっていた。でも、楽しみにしている友人に迷惑をかけたくない。行っちゃえばなんとかなる。そう自分に言い聞かせていたのだが、食事を終えた頃、ふいに涙を流してしまった。さっきまで笑って普通に喋っていた私が泣き出したのだ。友人はびっくりしていた。だが、泣くまいと思えば思うほど涙があふれ出し、私はもう自分ではどうすることもできなくなってしまった。

私は正直に「明日、旅行に行くのが怖くてたまらない」と打ち明けた。
友人は「え?」という顔をしている。普通の人なら“旅行に行くのが怖い”という感覚は意味不明だろう。一体何が怖いのか、と。私だってそうなのだ。どうして怖いのかわからない。楽しみにしてたのに、いろんなところ行きたいと思っていたのに・・。

友人は「大丈夫、明日になれば元気になってるよ」と私を慰めたが、もうダメだった。私は泣きじゃくって、「もう無理。行かれない」と言い切ってしまった。友人はガックリ肩を落とし、「やっぱり病気良くなってないんだね。病院に通ってる意味はあるの?一生治らないんじゃないの?」と私に言った。

旅行がキャンセルになってしまった友人の気持ちはよくわかる。
そして、自分の情けなさも自分が一番良く知っている。
その友人が「病気を理由に甘えてる。精神的に弱いだけ」と私を見ているのも知っている。私は友人とそのことで言い合いになってしまった。

“病気が良くなってない。一生治らない。甘えてる。精神が弱い”
これらの言葉は私の心にストレートに突き刺さる。涙はますます止まらない。
友人は続けて「こういうこと言われて悔しくないの?何クソって思わない?」そう言った。きつい言葉で私を奮起させようとしたのだ。

だが、私は奮起するどころか、どんどん感情が高ぶり、みっともないほど大きな声で泣き出してしまった。そしてその時、私の頭の中に「私なんか何の役にも立たない」そんな言葉が次々と姿を現してきた。そして「やっぱり私精神を病んでるんだ」という、今まで絶対自分では認めないようにしてきたことを、自分自身の行動で示してしまったのだ。

私の心の中には、“病気だから”という甘えが確かにある。
病気を理由にせず、多少恐怖心や体調が悪くとも、我慢して周りに合わせるということができていない。私ができるのは、せいぜい迷惑がかからないよう、なるべくひっそり一人でいることだけだ。

だが、時には思い切り甘え、受け止めて欲しいと思ってしまうことがある。
それが許されるのは身内だけだと今回再認識した。
それはやはり、とても重い事実だった。

今日はくっら〜い話でごめんなさい。一晩寝たら笑える話を書こう!
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2005年11月19日

この願い届きますように☆

そろそろインフルエンザが蔓延しだす時期になった。
人にはそれぞれ強い季節と弱い季節があるらしく、どうも私は11月から1月くらいの間が弱いようで、派遣社員として働いていた時、毎年必ずこの時期になると、40度近い熱をだしていた。

一番最初に熱を出した時は、朝食事を普通にし、普通に会社に出かけて、いつも通りに仕事をしていたら、突然激しい寒さに襲われた。もう歯がガチガチして震えが止まらないのだ。その会社では派遣社員は会社の医務室の利用ができなかったので、普通じゃない寒さに“これは結構ヤバイ”と思い、どうにかなっちゃう前に早退させてもらうことにした。

家に帰って熱を測ってみると、40度も熱がある。
寒いはずだよ・・、と思いながら、お化粧も落とさずドサっと布団の中にもぐりこんだ。熱はすぐに冷ますより、悪いものが出るまで冷まさず我慢した方がいいと母に言われても、節々は痛いし、頭はガンガンするし、とても眠れたもんじゃない。その日は家にあった解熱剤を飲んで眠ることにした。

翌朝目が覚めると、まだ熱は39度もあった。
仕方なく病院へ行くと、先生は風邪でもインフルエンザでもないと言う。私はてっきり“インフルエンザだわ”と思っていたのでちょっと拍子抜けしてしまった。
え?じゃぁ、なんでこんな高熱が出るんだ・・?原因はストレスだという。
当時、あまりストレスを感じていなかっただけに、こんな形で体が悲鳴をあげることがあるのかと私はびっくりした。体って不思議だ・・。

その翌年も、私は同じように会社で突然高熱を出した。二回目ともなると慣れたもので、今度は会社から病院へ直行した。その方が楽だからだ。病院で熱を測ると案の定41度もあった。看護婦さんは驚き、「あらやだ、41度もあるわよ。そんなきちんとした格好をして・・。一人で来たの?大丈夫?」と、とても親切にしてくれ、私が「会社帰りですから」と言うと、目を真ん丸くして「偉いわねぇ」と褒めてくれた。
褒められるって嬉しい。私は思わずうるうるしてしまった。。
そしてその時も、前回同様風邪でもなくインフルエンザでもないと言われ、ストレスからくる知恵熱のようなものだと言われたのだ。

辞める直前まで必ず一年に一度、この時期には高熱を出し続けることになってしまった。

体はとても正直で、どこかで無理をしていると必ずこうして信号を送ってくれる。
その信号を軽く見ず、きちんと対処してあげて欲しい。

さて、仕事を辞めて初めてこの時期に突入した。
今年熱が出なかったら、やはりストレスの原因は会社だったということになるだろう。だが今年熱が出たら、私のストレスは一体どこから来てることになるのだ!?

あんな辛い思いはしたくないし、ストレスの正体を知るのも怖いので、今年は万全を期してこの時期を乗り越えようと思う。

皆様が健康で、無事、寒い冬を過ごせますように。。

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2005年11月18日

引きずる理由

仲のいいA君とB君がいた。
私はB君にほのかな恋心を抱いていたのだが、残念ながらB君は他の女の子に夢中で、全然私の方を見てはくれなかった。だが、A君は私に興味があったようで、何かにつけては声をかけてくるようになった。そうして、だんだんA君との接触が多くなってくると、いつしか私もA君の存在が気になっていった。だが、もともとA君は私のタイプではない。だから私は、いつでもA君の誘いに乗ったわけではなく、自分にとって都合の良いときだけA君の誘いに乗ったりしていた。

そうこうしているうちに、だんだんA君の熱意が伝わってきて、私にとってA君の存在はとても大きなものになっていき、やがて私達はお付き合いすることになった。A君は一生懸命私に気を遣ってくれた。私はA君といると安心できてとても心地よかった。だが、その心地よさに甘えてばかりいた私は、やがてA君に振られることとなった。

その時の私はどうだったか?
A君の事をどうしても諦められなかった。
しつこく復縁を迫り、なんとかやり直せないかと、あらゆる言葉を使ってA君の気を引こうと頑張ったが、A君は頑として二度と私を受け入れることはなかった。それでもなかなかA君への想いは断ち切れず、長い間引きずることとなってしまった。

その後しばらくして、今度はB君と私は急接近することになった。
私の方がB君に惚れていたのだ。多少B君にルーズなところがあっても、私は我慢し、彼との関係をいいものにしようと一生懸命頑張った。だが、そんな私の気持ちとは裏腹に、B君はどんどん勝手な行動を取るようになっていった。だが私は、もう別れを経験したくなかった。しばらくの間B君の悪いところには目をつぶり、我慢していたのだが、そんな恋愛はうまく行くはずもなく、私はB君からも振られることとなった。

その時の私はどうだったか?
少しの間メソメソしたものの、A君の時のように復縁を迫ることも引きずることもなく、比較的短時間で気持ちの整理がついてしまったのだ。

私はもともとB君の方が好きだったのに、結果としてA君の方を、より引きずることになったのはなぜだろうか。

一つは、その恋愛に悔いが残ったかどうかだ。
“あの時こうしていれば別れなくてすんだかもしれない。”
と、タラレバばかりが頭の中をグルグルすると、なかなか気持ちの切替はできないものだ。恋愛に限らず、後悔するのは厄介なことである。

そして、もう一つ。
私はA君から求められて付き合ったのだ。
そのことが私の心の奥底で“私がA君に振られるはずがない”という大きな自信となっていた。だから彼に復縁を迫ったのは、もう一度やり直して悔いを残さないようにしたいという気持ちもさることながら、“もう一度振り向かせたい”という意地も強かったのではないかと思う。

この意地のせいで、なかなか思いを断ち切れない事は多いのではないだろうか?
本当に相手の事が大切で、好きで好きで仕方がないのか、それとも意地なのか、渦中にいるときはわからないものだが、振り返ってみると「あれってただの意地だったんじゃないかなぁ〜」なんて思うことが往々にしてある。

この意地、まったく意味がなく、マイナスしかもたらさないものだ。
追い掛け回される人にも迷惑がかかるし、自分の精神衛生上もよろしくない。
その上、意地を張っている時間が長ければ長いほど、次の恋愛のスタートは遅くなってしまう。

人生そんなに長くない。意地を張ってる暇などないのだ。

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2005年11月17日

秘訣

物事には、“考えなくてはいけない事”と、“考えてもしょうがない事”がある。

私は、つい最近までこのことを知らず、“考えてもしょうがない事”に長い時間を割いてきたように思う。だがある日、ふっとそれが意味のないことだと気付いた時から、今まで悩み続けていたのが嘘のように、人生楽に送れるようになった。

例えば、「彼はどうして最近冷たくなったんだろう?」とか「なんで彼女はあんなこと言うんだろう?」というように、以前の私の頭の中は、いつも主語が自分以外の誰かだった。そういう考え方をしていると、いつまでたっても答えに辿り着くことはなく、どんどん深みにはまっていってしまうものだ。

「彼はどうして最近冷たくなったんだろう?」に始まって「彼が冷たくなったのは、私があの時あんな言い方をしたからかな?」に続き「今度会った時、こういう風に言ったら彼はなんて思うだろう?」と考え「そんなこと言ったらますます彼は怒っちゃうかな?」と、憶測や妄想ばかりが広がって、頭でっかちになって身動きがとれなくなってしまう。そればかりか、そんな事を考えている間は楽しいはずもなく、苦しくて悶々とした日々を送ることになってしまうのだ。

だが、この悶々とした日々を送る必要があるだろうか?
答えはNOだ。まったくない。まったく必要のない時間なのだ。
なぜなら、それらは“考えてもしょうがない事”だからだ。
人の気持ちばかりは、どんなに考えたって答えは絶対わからない。
本人に聞かない限り、いや、聞いたとしてもそれが本当かどうかわからないものだ。私はそんなことにも気付かず、いつも同じところをグルグル回るような日々を送ってきた。

だがやがて私は気付き、主語を自分に置き換えるようになった。
すると、答えがどんどん早く出てくるではないか。

「彼はどうして最近冷たくなったんだろう?」ではなくて、「私はもっと彼と仲良くしたい」から始まると「うん、一度彼とじっくり話し合ってみよう。」に続き「電話して、“ゆっくりご飯でも食べよう”って誘おう」になる。そこにはいちいち「電話したら彼はなんて思うかな?」などど考える必要はない。なぜなら、そんなことは永遠にわからないことだからだ。

こうして、自分を主語に置き換えて考えることで、余計な苦しみから解放されるだけでなく、自分の考えだけで動くことができるので、前に進むのに時間がかからなくなる。

さらに、それができるようになると、不思議と「どうしよう」とか「どうしたらいいんだろう」という考え方もだんだんなくなって来る。

「ずっと独身で一人ぼっちだったらどうしよう」なんて考えてたら暗くなるだけだ。先の事なんて誰にもわからない。これも“考えてもしょうがない事”だ。
だったら「私は絶対結婚したい。だからどんどんお見合いしよう」と考るか「私は独身でもかまわない。けど、一生懸命働いて老後に備えてお金を残したい」とも考えることができ、次のステップへ踏み出すことが容易になる。

大体深みにはまってしまう悩み事というのは、その事自体はそう大した問題ではなく、自分でその問題を必要以上に大きくしてしまっている事が多い。

自分を主語にして物事を考えるのは、決してわがままでもなんでもない。
楽に人生送る為の、ちょっとした秘訣である。

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2005年11月16日

美しい人

11月15日 紀宮様がご結婚され、黒田清子さんになった。
私と同じ世代の宮様。大学を卒業し13年の間仕事をされて寿退職。
朝からどこのテレビ局もその映像だらけだった。

私は“どうして宮様は民間人にならなくてはならないのか?”とずっと思っていた。
なぜなら、婚約指輪や結婚指輪についてさえまったく知らなかったというし、引越しする時、そこを掃除するということも知らなかったというのだ。36年間そういう俗世間とは無縁で生活してきた宮様が、なぜ今更民間人にならなくてはならないのか。
宮様が男だったらずっと皇族でいられたのにと思うと、全然関係のない私でさえ腑に落ちなかった。

私のそんな心配などいらぬとばかりに、自由に何処でも行かれる楽しい民間人生活であればよいのだが、“皇族出身”ということは一生ついてまわる。これからまだテレビや雑誌で取り上げられることも多いだろう。そう思うと、宮様や両陛下の気持ちが察せられ、おめでたいことではあるのだが、私は一人勝手に切ない気持ちに浸っていた。

だが、皇居から出てきた宮様を見て考えが一変した。
なぜなら、普段は両陛下しか使用しない車に、一人、ウエディングドレスをまとってのご出発。その表情には、凛とした強さと清らかさが漂っており、彼女の意志で民間人になることを選んだのだろう、と思えたからだ。

宮様が一番尊敬している、母親の美智子様の着物と帯を身に付けての披露宴。
招待客に最大の敬意を払い、料理は簡素で時間をかけずに食べられる選ばれたフランス料理、お色直しなどもちろんなく、控え目なお化粧に髪型もずっとおかっぱ頭のままだった。だが、立ち居振る舞いの素晴らしさや、一歩下がって黒田さんを立てるさりげないしぐさ、そのどれもが、どんなきらびやかな衣装や化粧をするより彼女を美しく際立たせていたと思う。

昨今は、いろいろ趣向を凝らした結婚式や披露が多いが、やはりどうしても主役は新郎新婦になりがちだ。だが、二人の結婚式はそうではなく、どこまでも育ててくれた両親や、家族、これまでお世話になった人々へのお礼に満ちたものであったと思う。
いつもは神々しい両陛下も、本当は手放したくないであろう末っ子の愛娘を送り出す、普通の両親のようであった。

テレビで人の披露宴を見て、感動したことなど一度もなかった私だが、今回ばかりは思わず涙ぐんでしまった。多分、宮様がいつもと変わらない落ち着いた態度と、笑顔をたたえていたからだと思う。自身が36歳という年齢であれば、もう両陛下にとって宮様は、頼れる存在であったと思う。彼女の姿には、感謝の気持ちのほかに、両親を心配させてはいけないという気持ちが強く現れているかのように見えた。

強くて清く美しい宮様なら、ず〜っと民間人をやってきた民間人より、よっぽど素敵な民間人になるのだろう。そして、せっかく民間人になったのだから、ちょくちょくご両親の様子を見に伺えるようであって欲しいと思う。

黒田さんのこと、今回はよく見てなかったけど、あの喋りっぷりなら天皇家と絶対合うはず、と婚約会見の頃から私は踏んでいた。。

と、偉そうなことを言いつつ、自分が披露宴をすることになったら“私が主役よ”になってしまいそうな私に人気blogランキング応援クリックお願いします☆
  
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2005年11月15日

自分自信

自分で言うのもなんだが、私は根暗で底意地が悪くマイナス思考だ。

例えば、休日の朝、雨が降っていると「今日は何もしないで家でゴロゴロしててもいい日だ」などと思うし、朝急いでいる時に、おニューのストッキングが伝線すれば「今日はなんだか悪いことが起こりそう」と思うし、トイレに入ってトイレットペーパーがきれていると「ちっ、なんであたしの時になくなっちゃうのよ」と思う。

よく物事は、良い方へ良い方へ考えると人生も良い方向へ進むと言うが、そうそう簡単に考え方は変えられないものだ。

おニューのストッキングが伝線して「あぁ、これが会社へ行く前で良かった」とは思えないし、「私がトイレットペーパーを換えられてよかった。次の人に喜んでもらえるわ」とも思えない。雨が降った休日に「今日は外出せずに、家の中でも綺麗にしようかしら」なんてことはなかなか思えないものである。

だが私、実は心の奥底に根拠のない自信を持っている。
何か努力をして得た自信でもなく、生まれつき与えられた才能があってそうさせるわけでもない。だが、「私の人生幸せにならないわけがない」という、かなり大胆な部分で根拠のない自信を持っているのだ。

とても幸せな暮らしをしている友人がいる。
彼女は、20代後半で大好きな人、しかも資産家の息子と結婚し、専業主婦をちょっとやって飽きたらパートに出て、それもなんとなく飽きたら子供でも作ろうかなと仕事を辞め、辞めた途端に妊娠し、娘を出産。そろそろ次の子でも作ろうか、男の子がいいわなんて言ってたら、ちゃんと男の子を産み分けした。
「毎日育児に追われて自分の時間なんて取れやしないわ」と言いつつ、お姑さんに子供を預け、私とゆっくりランチを楽しんでいるような人だ。

もちろん、彼女にもそれなりに苦労はあるようで、愚痴も言うし、ため息をついちゃったりもする。だが、そこにはまったく悲壮感がない。彼女からは“幸せオーラ”がビンビンに出ていて“不幸な彼女”を私はまったく想像できないのだ。

そんな10歳近くも年下の友人に、「あたしさ、30代後半で無職になっちゃってさ、これからどうしよう」と言いつつ、「でもなんかね、私、自分が不幸になるとは思えないのよ」と言ったら、彼女「わかる、わかる。姉さん(彼女は私をこう呼ぶ)は、なんだかんだ言って幸せになるわよ。そういうオーラが出てるもん」と言うではないか。そして「私もそう。“不幸な自分”が全然想像できないのよね」と言った。え?この幸せ女と私、同じオーラを持っているのか!?

確かに、彼女に「幸せオーラが出ている」と言われた時、私は素直に受け入れられた。“お世辞じゃないの?”とか“幸せなあなたに慰めてもらってもねぇ”とか、そういうひねくれた考えは一切浮かんでこなかった。「お!コイツやるな」と思っただけである。

そしてちょっと考えてみた。私と彼女の共通点って何だろう?
あ、もしかして・・一つだけ見つかった。
それは“自分が好き”ということである。

私は、根暗で底意地が悪くマイナス思考だが、自分が好きだ。
自分で自分を好きにならなかったら、自信は生まれてこない。
その自信に根拠が要るだろうか。

根拠などなくとも自信さえあれば、誰でもきっと“私が不幸になるはずがない”と思うだろう。そして、どんどん思った方向に人生を動かしていくのだ。
自分を無理に変える必要はない。ただ、自分を好きになる、それだけだ。

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2005年11月13日

褒めるが勝ち

私に彼がいて、彼のことを友人達に話す時は、なぜか彼の欠点に焦点をあて愚痴ばかりになってしまう。ところが、その愚痴ばかり言っていた彼氏と別れたとなると、なぜかその彼を語る時はいい事ばかり言うのだ。

別れた彼氏を悪く言わないのは、自分で決めて付き合った人だ。思い出は美化するものである。そして、彼を悪く言うとその彼を選んだ自分がバカだったと吹聴していることになってしまう。ん?待てよ。だがそうだとしたら、付き合っている彼氏の悪口を言うのも、自分の決断が間違っていると言いふらしているようなものではないか。

もちろん好きで付き合っていて、いいところもたくさん知っているのに、なぜ付き合っている時は、欠点ばかりに目がいって愚痴を言いふらしてしまうのだろう。

お父さんがアメリカ人で、お母さんが日本人というアメリカで育ったハーフの彼氏がいた。彼は、私が通っていた英会話学校の先生だった。その学校のクリスマスパーティーで彼と私は急接近し、学校外で会うようになり、お付き合いすることになった。

彼は日本語が殆どできず、私の英語もとんちんかんだったので、私は心の中で“やった!タダで個人レッスンしてもらえちゃう♪”なんていやらしい考えもあったのだが、ここは日本だ、日本でお付き合いしていくには、日本語を覚える方が必須になる。いつのまにか、私が彼の日本語教師になっていた・・・。

だが、込み入った話を彼は英語でした。先生をしているだけあって、日本人がどのレベルの単語を使えば理解できるかわかっていたので、最初はゆっくり話してくれれば、私も彼の英語を、一旦頭の中で日本語に訳すものの理解できるようになった。大喧嘩の最中でも「え?もう一回言って」と必ず彼の言いたいことを理解しようと努めたおかげで、いつのまにか、頭の中で日本語に訳さなくても、彼のスピードで喋る英語はストレートに理解できるようになった。なので、いつのまにか彼が話すときは英語、私が話すときは日本語という奇妙なスタイルになってしまった。語学と言うのは、聞けるようになるのは簡単だが、喋れるようになるには努力して自分から話さないとできるようにならないらしい。。

そのくらい意志の疎通が出来るようになった頃、友人が「是非、彼に会ってみたい」と言ってきた。私はもちろん自慢の彼だったので「うん、いいよ。」と即答し、彼に「友達が一緒に食事したいって言ってるんだけど、どう?」と聞いてみた。彼も喜んでOKしてくれたので、私達は3人で食事をすることになった。

3人での食事は楽しかった。
やがてお開きになって、私と彼はニコニコしながら彼女を見送った。
だが、二人きりになったその直後から、彼はムっとし、私と口を利いてくれなくなったのだ。「どうしたの?何かあった?」と聞いても丸無視である。
そのまま別れるのも気分が悪いので、私は「何があったかきちんと説明してくれないとわからないじゃない」と真剣に彼に言った。すると彼は、「なぜ君は友達に僕のことを悪く言う?僕はそんなにダメか?」と言ったのだ。私は、そんなことを言ったつもりは全然なかったのだが、無意識のうちにいつも通り、彼を前にしても、彼のことを悪く言っても褒めるような言葉は何も言わなかったらしい。

そして彼は「日本人は、皆そう。自分の奥さんや彼女を悪く言うし、女の人も彼氏や旦那さんを悪く言う。じゃぁ、なぜそういう人を選ぶんだ?」と言った。

では、私が付き合っている最中の彼を悪く言うのは、日本人気質なのだろうか?

確かに3人でいる時、私は彼より友人に対して気を遣った。彼女がつまらない思いをしないようにとそればかり気にしていたように思う。それで彼をないがしろにするような事を言ってしまったのではないだろうか。そして私は、彼が私のそんなきもちをわかっていると思い込んでいたのだ。

そういえば、私も逆の立場に立ったことがある。
日本人の彼が、友人にばかり気を遣い、私には言いたい放題だった。
気持ちはわかるがやはりおもしろくなかった。
だがこれが普通なのだろうと、その時の私は我慢したように思う。

しかし本当は、アメリカ人の彼が言ったように、一番近くにいてこれからも長く一緒にいることになるかもしれない相手にこそ、気を遣うべきかもしれない。

日本人でも、彼や旦那さんのことを悪く言わない友人達もいる。
実際は、その友人達の彼や旦那さんにも欠点はあるだろう。だが、なるべくいい事を言うことで、その彼や旦那さんはもちろん、その人を選んだ彼女自身の株が上昇することに気付いた。「素敵な旦那様を選んだ賢くて可愛い女の子」のイメージだ。
ということは、私は自分で彼の価値も自分の価値も下げていたのか・・。

付き合っている彼のことも、別れた彼のことも、悪く言うのは得策ではない。
そして、お付き合いしている彼本人に向かっても、褒め言葉をいい感謝の気持ちを伝えるようにする。日本人独特の“わかっているはず”の甘えは禁物だ。

これができるようになったら、熟年離婚減るだろうな。

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Posted by late_bloomer at 11:55Comments(23)

2005年11月12日

A子さんとB君とC氏

32才独身女性のA子さんが、結婚について電話相談しているテレビを見た。
彼女は、数ヶ月前から付き合っている彼氏B君31才にプロポーズされ、それを受けて婚約し、結婚式の日取りまで決まっているという。だが、彼女には10年前から関係が続いている33歳既婚男性C氏という人がいて、A子さんは、B君よりこの既婚男性C氏の方がより好きだというのだ。こんな気持ちのままB君と結婚していいのだろうか、というのがA子さんの相談内容だった。

A子さんは、C氏と知り合ってからというもの、彼以上他の誰かを好きになれず、ずっとC氏が諦められずにいるという。C氏に結婚を迫ったものの「今はそういう状況ではない。でも、いずれ妻とは離婚して君と結婚したい。僕は君といるのが一番安らぐから」と言われ、その言葉を糧にいつか一緒になれるのでは?という思いから離れられずにいる。だが、それとはまた別の次元で、B君のことも好きでプロポーズにOKしたそうだ。

B君は何も知らず、A子さんとの結婚を誠実に考えている。
C氏は、10年も前からA子さんと知り合っていながら別の女性を選んで結婚し、だがA子さんとも交際をずるずる続けている。今のところA子さんの結婚が決まったことはまだ知らない。

コメンテーターの意見を総合すると「最終的に決めるのはあなただけど、世間一般の常識で言ったら、先の事を考えてB君と結婚するのがいいでしょう。でも、そういう密かな恋心を持つのは決して悪いことではない。いつか年を取ったら、C氏とのことは“あぁ、あんな激しい思い私もしてたのねって懐かしい思い出に変わってるから」ということだった。結局はB君と結婚しなさい、ということだろう。

もし、私がまったく知らないA子さんから、同じ相談をされたらなんて答えるだろう・・?

答えは二つ。
,修譴辰討い錣罎襯泪螢奪献屮襦爾覆鵑犬磴覆ぁ
とんとん拍子に話が進んで、急にC氏の事が気になっただけ。
誰でも結婚前には同じように「この人でいいのかしら?」って悩むものよ。
と、結婚の経験もないのにさらっと答える。

二人ともやめたら?
C氏は結局A子じゃなく別の人を選んで結婚し、それでもA子とズルズル付き合ってる。それって奥さんにもA子にも不誠実。信じられない人だわ。それからB君、何にも知らなくてかわいそうだと思わない?彼に対して一番失礼なことだと思う。だったらいっそのこと二人ともやめて、C氏を越えるほど好きな人が現れるまで待って、現れたら結婚すればいいじゃない。きっとそのうち現れるわよ。
と、ばっさり二人とも切るようすすめる。

こんなところだろうか?

だが、私にはA子さんの気持ちはまったく理解できない。
なぜなら、私は一つ一つ白黒はっきりつけていかないとやっていかれないからだ。
一つの恋が終わって、新しい恋が始まったら、もうリセットがかかる。前の恋を越えられないような相手とは付き合うことはできない。ましてや結婚の約束なんて、恐れ多くてとてもできやしない。

でも、A子さんのような、ある意味器用な人が、とっても誠実で素敵な人を惹きつけて、幸せを掴んでいくように思えてならない。。

結局は、A子さんはB君と結婚し、そしてC氏ともしばらく続けるという道を選ぶんじゃないかと勝手に推測をしている私は、相当暇人だな。。

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2005年11月11日

密かな楽しみ〜あれから〜

毎朝、犬が目を覚ます前に起き、“今日こそあんかが役に立ってるはず”とドキドキしながら階段を降りていたが、私の期待をあえて裏切るかのように、どんどんランはあんかを遠ざけて行った。最近のあんかは、マットの下にさえ置いてもらえず、廊下の隅のほうに顔を出す始末だった。

私があんかを片付け呆然と立っていると、背後から「そんなの一生使わないよ。いいよ、電気代いくらかかっても。毎日、毎日やってみな」と母が吐き捨てるように言った。「くそババァ!」私は母が正論を言い、何も言い返せない時いつもこう言う。それを知っている母は、薄笑いを浮かべて「そんな固いもん犬がどうやって使うのよ。」と勝ち誇ったように言った。

私はすごすごと部屋に戻って考えてみた。
私が昼寝をする時は、ホットカーペットの上でする。
ポカポカ下から暖められて、あっという間に眠ってしまうのだ。
もし、ホットカーペットの代わりにあんかだったらどうだろう・・?
考えるのをやめたくなった。

ランは、フローリングの上に敷かれた、薄手の綿のマットの上にいつもいる。
私はそのマットの下に、辞書のような大きさのあんかをごろんと入れたのだ。
私がランだったら嬉しいだろうか・・?もちろん答えはNOだ。
早速ペットショップへ向かった。

そこには、犬用の小さいホットカーペットが売っていたが4000円もする。
悪いが無職の私には、そこまでの甲斐性はない。
いろいろながめていると、ちょうどバスマットくらいの大きさで、フリースのような生地で出来ている敷き毛布が500円で売っているのを見つけた。安い。
手にとってみると、とてもふかふかしていて気持ちいい。そしてもちろん暖かい。
ランがごろんと横になっても、この大きさならすっぽり体が納まるだろう。
私は“今度こそ”という願いを込めてその敷き毛布を買った。

夕方、ランを家に連れてきてすぐ毛布を置いたが、やはり少しずれたところで寝ていた。う〜ん、これもあんまり意味ないのだろうか・・?

だが、お風呂に入ろうと階段を静かに降りていくと、なんと、ランはちょうどその毛布の上に、気持ち良さそうにうっとりした顔をして寝ていたのだ。
“あぁ、毛布が役に立っている。コレだったんだ・・。”私は、ランと毛布が合体している姿を見て胸が熱くなった。だが本音を言うと、私はこの感動を、あんかとランの合体で味わいたかったのだ。

その時私は思った。“これこそ親切の押し売りではないか”と。
“思いやり”についてあれこれうんちくをたれた私だが、ランにしたこの事こそ、相手の立場に立たず、自分の気持ちを押し付けただけではないだろうか。

だが、おそらく彼女は私のこの一連の行動をまったく理解していないだろう。
ランが犬でよかった。。

そして、親切の押し売りも大きなお世話も、悪気なんて一つもなく、相手の為を思ってこその行動だということが良くわかった。今までは、“ちっ、気持ちはわかるけど大きなお世話なんだよね”とか“そんな親切の押し売りされても迷惑なんだけど”などと心の中で思ったものだが、心を改めよう。すべては善意から始まっているのである。だが、それ故に始末に負えないんだよね、と言ってしまえばそれまでなのだが。。

ランは今もピンクの毛布の上に寝ている。
意地悪して、いつもと違う場所に置いてみたのに・・。

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2005年11月10日

絆(番外編)

その日は朝から晴天に恵まれ、本当に11月なのだろうかと思う程の暖かさだった。
私は、今までやりたくてもできなかった、布団干しやベッド周りのすべての洗濯をし、やっと夏物のサンダルを磨き、箱に戻した。そして、その後ろに隠れていたもう何年も履いていない、埃をかぶった流行おくれのサンダルやパンプスを、思い切って6足捨てた。以前は、古くて使わなくなったものでもなかなか捨てられない私だったが、一度思い切って捨ててみると、気持ちのいいものだ。その快感の方が強く、どんどん私の周りからは、古くて埃をかぶって眠っていたものがなくなって行く。

そんな午前中を過ごし、ほんのちょっぴり疲れを感じた頃、母が言った。
「今日、お昼から小学校の同窓会があるのよ。悪いんだけど、ホテルまで送って言ってくれない?」と。そのホテルは家から車で15分ほどの距離にある。私は「いいよ。その代わり、お昼のパン買いたいから途中で寄り道してね」と言い、母は「私も駅前の銀行に行きたいからちょうど良かった」と言ったので、話はまとまった。

そして、母を送り、家に戻って昼食を取った後も、犬の散歩へ行ったり、掃除機をかけたりと午後も精力的に部屋の掃除をしていた。ふーっと一息つくと“そうだ、先生に「疲れを感じるほどあまり一気にいろいろなことをしないように」って言われてたんだっけ”そう思い出し、牛乳たっぷりのカフェオレを作って一休みした。ぼんやりテレビを見ていたら、ついついうとうとしてしまったが、友人からのメールで気持ちよく目が覚めた。

「今日、良かったら食事でもどう?」
私は今日一日体調もよく、動き回ったおかげでお腹も空いていたし、今日こそ皆に会おう。そう思うことが出来、友人達と久しぶりに会うことになった。

その時、ふっと母の事を思い出した。
送っていった別れ際、「帰りも、もしかしたら連絡するから迎えに来てね」と言われていたのだ。やばい、やばい。母に「今日の夕食は、SっちとYYと会ってXXで食べることになったの。時間が合えば迎えにいけるけど・・。」とメールして待ち合わせの場所へ向かった。

久しぶりの再会は、ちょっぴり照れくさかったけれど、彼女達の満面の笑みを見たらそんなことはどこかへ吹き飛んでいってしまった。
私達は、はやる心を抑えてメニューから食事を選び、オーダーした。

まずは共通の職場の話。私が辞めた後のあれこれを聞き「へぇ〜」とか「え?そうなの!?」なんて、まるで私は浦島太郎になったような気持ちで話を聞いていた。

そうこうしているうちに料理が運び込まれ、私達は食事をしつつも本題の友人の恋の悩みについて話始めた。料理を食べ終えた頃、話も盛り上がり、さぁ、これから!という時に私の携帯がなった。「あ、ごめんね。母ちゃんだ・・。」彼女達は、私がまだヨロヨロしてた頃、母に付き添ってもらって外出した時に、母に会っている。そしてうちの母がどんな母かもよーーくわかっているので、「あ、ママ?どうぞどうぞ」と言ってくれた。私は不吉な予感と共に電話を手にした。

受話器を耳にあてると「今どこにいるの?」と妙にテンションの高い母の声がした。
その声だけで私はどっと疲れが出てしまった。いい感じに出来上がってる・・。
私が場所を伝えると「今ね〜、2次会でその近くのカラオケボックスにいるのぉ。そこまで送ってもらう約束したから今からそっち行くね」と言うではないか。冗談じゃない、私は久しぶりにやっと友人達との再会を果たし、大いに盛り上がってる最中だ。なんで、母ちゃんが来るんだよ・・。

私は「ママ、メールにも書いたけど、今ね、私達盛り上がってる最中なの。すごく久しぶりに会ったこと知ってるよね?今ママに来られても困るから。」と努めて冷静に言った。それを聞いていた友人達は、「え?こっちに来るって?あはは、さすがママ。すごい発想だね」と言いながら大笑いしていた。母は、その笑い声が聞こえたようで、勘違いし、「あはは、皆笑ってる〜。SっちにYYでしょう?大丈夫、二人とも知ってるから」と喜んでいた。大丈夫なのはあんただけだ。

私は「あのね、知ってるとかそういう問題じゃないのよっ!」だんだん怒りがこみ上げてきたが、相手は酔っ払いだ。まともに関わっても仕方がない。私はまた冷静になって、「いいよ、来たいなら来ても。でもテーブルはまったく別で、私達が帰るまで一人で待っててくれるならいいよ」と母に言った。母は大笑いした後、急にテンションを下げ、「あっそう。いいよ。じゃぁ、電車に乗って帰るから」とやっと納得したようで「はい。そうしてくださいね」と言って私は電話を切った。

そして私は「ごめんね。そんで、そんで、何だっけ?」と話を元に戻し、また楽しい会話に戻っていった。

すると、また母から電話だ。「もう一体何なのよ!!」と言いながら、皆に詫びて電話に出た。すると「今うちに着いたんだけど、私の車がないのよっ。どうしちゃったのかしら?」と言うではないか。

私は言ったはずだ。私の車は家の車庫に入っている。夜遅くなってブンブン音を立てて車庫入れするのはお隣さんに申し訳ない。だから、駐車場に止まっている母の車を借りて行くことを・・・。母はそんなことはちっとも記憶になく「ひどい!迎えに来てくれなかったのに、人の車まで使うなんて。覚えてなさいよ!」とわけのわからないことを言っていたが、私は相手にせず電話を切った。

あの〜、あなたは一体誰ですか・・?

私はこの日、もう一つ大事な事を学んだ。
絆には、大切に大切に育てていきたい絆と、切ろうと思ってもなかなか切れない絆があるということを・・。

翌日母はご機嫌で、同窓会であったことをぺらぺらと喋り続けていた。

それを一生懸命「うん、うん。へぇ〜」と聞いた私に、良くやった、の人気blogランキング慰めクリックお願いします☆
  
Posted by late_bloomer at 09:59Comments(17)