2005年11月30日

本当にあった怖い話

私は、物心ついたときから今までずっと同じ土地に住んでいる。
ここはもともと母方の祖母の土地で、そこに父が2回家を建てた。祖母が亡くなると、土地は母名義になった。建物の名義は父である。二人が喧嘩をすると、母は「うち持って出ていけ!」と父によく言う。言われた父は無言だ。土地を持ってる女は強い。

最初の家は、今よりずっと小さくて不恰好だった。だが、ちょっとした中庭があった。そこには大きな柿の木があり、犬がいて、そしてプレハブ小屋があった。このプレハブ小屋が私達3人の子供の部屋で、金魚がいたり、インコを放し飼いにしたり、子供の遊び場としてはとても良い環境だったと思う。だが、母屋に行くには一旦外に出なければならないので、夜はトイレに行くのが怖かったが、ドアを開けると犬がいてくれたので、私はそのおかげで勇気を出してトイレに行くことができた。

やがて私達が大きくなり、私が15歳の時に、その家を壊して建て直す事になった。
その時、ある宗教を熱心に信仰していた祖母が「家を建て替える時期は慎重に選ばないと良くないことが起こる」と強く言い、祖母が通っていた会の偉い人に、どの時期が一番いいのか見てもらうことになった。私は確か祖母と母と一緒にその場へ行ったように記憶しているが、話の内容は殆ど覚えていない。

そして、新しい家が完成した。
新しい家は、当時にしてはモダンな家だったと思う。真っ白い壁に深緑色の屋根。天窓がついていて、一見すると3階建てに思えるような立派な家だった。母が建築士の人と何度も打ち合わせをしたという。今でこそ普通になりつつある、カウンターキッチンになっていたり、出窓がたくさんあったりと一歩先行く家だった。千葉テレビが取材に来て、我が家が番組で紹介された程だ。その映像は今はないが、私は、わざとらしく机に向かって勉強をしているフリをさせられたのを覚えている。

前の家を壊す時、私はものすごく寂しくて、涙が出そうになるのをぐっとこらえた。だが、新しい家を見た瞬間、嬉しくて嬉しくてその悲しい気持ちはさーっとどこかへいってしまった。だが、今、昔の家の写真を見ると、本当に平和で、子供子供していた時代を思い出し、今の家よりたくさんの思い出があるように思う。

新しい家は快適だった。
明るくて広くてトイレに行くのも怖くない。
しばらくの間は目を覚ますと、自分がどこにいるのかわからないことがあった。
その度に“あぁ、新しい家にいるんだ”と実感したものだ。

ようやく新しい家に馴染んできた頃、弟がサッカーで足を骨折してしまった。だが手術することもなく、ギブスをはめて、しばらく松葉杖をついての生活になった。やがて、そのギブスもとれ、やっと医者から運動許可が出たその日、なんと、弟はまた逆の足を骨折してしまったのだ。こんなことってよくあることなのか?なんだか私は怖くなった。そして、あ!とあの時の事を思い出した。そして母に「そういえば、家を建て替える前、おばあちゃんと一緒に占い師みたいな人のところに行ったよね?あの時なんて言われたの?」と聞いた。すると、母は淡々と話し始めた。

その占い師によると、その年に家を建て替えると、どの時期を選んでも家族の誰かが怪我や病気になると言う。だが、その中でも最も軽く済むのは弟が引っかかる時で、それ以外を選ぶともっと大変なことになると言われたそうだ。仕方がない、その時期に建てかえるしかないだろうと決断し、弟がひっかかる時期に家を建てかえることにしたという。・・弟が続けて2回も骨折したのは、予言どおりだったということか・・?

そして、私が大学受験を終え、結果待ちをしていると、なんと滑り止めの不合格通知が最初に届いてしまったのだ。もうダメだと悲嘆にくれていると、どこからか白い犬が現れて、うちのロッキーを連れてどこかへ行ってしまったのだ。その翌日、本命の合格を知らせる電報が届いた。だが、ロッキーはそれから二度と家に戻ってくることはなかった。母は言った。「そういえば、あんたは犬に守られてるって言われたっけ」「・・。」

そして母はもう一つ私に関わる重大な話をし始めた。
当時、私は思春期真っ盛りで、父が大嫌いで一言も父とは話をしない子供だった。母はそれが心配で、その占い師に相談したと言う。すると、占い師はにっこり笑って「大丈夫、何も心配はいりません。やがてこの子が一番のお父さんの理解者となり、面倒を見ることになるでしょう」といわれたと言うのだ。それで安心したと。

その話を聞いたとき、私はそんなこと全く信じなかった。
その時だって、まだ私は父とは良い関係を築いていなかったし、私が父の理解者になる?そんなこととてもありえないように思えた。

だが、今はどうだろう?
あれだけ父が目をかけていた姉は「財産も何にもいらな〜い。、その代わり、老人達の面倒はよろしくね〜♪」と言い残してスイス人になってしまい、長男である弟は、さっさと家を出てマンションを買い、独立している。老人達と暮らしているのは私だけだ。

そして母は、リタイヤした後何もせず、理屈ばかりこね回し、ただゴロゴロしている父を疎ましく思い「時々、本気で階段から突き落とそうかと思う」と言ったり、「アイアンで頭をかち割りたい」と言ったりする。そして「私はあの人の面倒みるつもりさらさらないからね」と私に宣言するのだ。そんなこと私に言われたって・・。

私は、母のイライラする気持ちもわかる。だが、それと同時に父の気持ちもよくわかるのだ。おそらく今は、家族の中で誰よりも私が父のことを理解しているのではないかと思う。なぜなら、悲しいかな私が一番父に似ているからだ。
このままいくと、予言どおり私がこの家で父の面倒を見ることになるのだろうか・・?

20年以上の時を経て、あんなに素敵だった我が家も、今は随分古ぼけた家になってしまった。手入れの行き届いていない、老人が住む家だとすぐにわかってしまう。時々、怪しいおじさんが来ては「屋根、危ないでしょう。無料で見積もりだしますよ」などといいに来る。その度に「あ〜、うちはお金ないから、いらない、いらない」と言い追い返す母を見て、“母ちゃん、その調子で親父の面倒を頼む”と願わずにはいられない。

私の今の一番の願いは、母が長生きすることである。

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最高記録3360点!目標の3400点が見えてきました☆
ありがとうございました!!  

Posted by late_bloomer at 00:03Comments(13)TrackBack(8)

2005年11月29日

微妙・・

最高得点の3330点をマークした!!
カウンターを見ても、過去最高の数字が出ているのだ!
ここまで頑張ってきて本当に良かった。一生懸命続けてよかった。。
たくさんの人が私の文章を読んでくれたのだ。こんなに嬉しい事があるだろうか。

と、心の底から思いたいのだが、そりゃぁ、違うだろ。
エニアグラム様のお蔭だろ。
・・わかっているさ、そんなこと・・。

でも、それでいいのだ。
ここの読者サマは、仕事の合間ほっと一息ついた時に来てくれる方々が多いのだ。
そんな時、エニアグラムでリフレッシュされたなら、こんなに嬉しい事もない。
カウンターは正直だ。。月曜日が一番ヒットが多く、週末はちょっと寂しい。。

月曜日からガッツリ仕事なんかしてられるか、である。
毎日毎時間仕事一筋でやってられるか、である。

でも、お仕事されてる皆サマ、どうか見つからないように一息入れてくださいね。

では、エニアグラムの力を借りずとも、たくさんの方に見ていただける記事をかけるよう、明日また出直します。

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でも、エニアグラム好評で良かった♪
「もう知ってるよ、おせーんだよ」とお怒りの声があるのでは?
と内心ビクビクしておりましたの。。
  
Posted by late_bloomer at 01:10Comments(9)TrackBack(0)

2005年11月28日

あなたは?

以前、私が自分で自分の事を“おっとりしているお嬢さんタイプ”だと思う、と友人達に話したところ、そこにいた全員が、思いっ切り同時に首を横に振ったという話から、自分のことは案外自分はよくわかっていないものだ、と書いたことがあるのだが、自分の事がよくわかるというおもしろいテストを教えてもらったので、早速やってみた。

エニアグラムというもので、質問に、20歳以下だった頃を思い出しながら答えていくと、1〜9に分けられたタイプのうち、自分がどのタイプなのかわかるようになっている。

ちなみに私はタイプ4だった。
うっ、結構当たってる。。痛いところを突いてるな。パンチを食らった気分だ。
だが嬉しかったのは、このタイプ4、芸術家タイプらしく、職業適性に詩人・小説家と書いてあったのだ。エッセイストやコラムニストとは書いてなかったが、思い切って詩にもトライしてみようかなという気分になった。(うそ)

そしてこのタイプ4は、タイプ1の人から学ぶことが多いという。
って言われても、誰がタイプ1だかわかんなくちゃ学びようがないじゃん、ね。

ということで、より良い人間関係が築けるよう身近な人にもやってもらっちゃおう!

さぁ、皆でレッツトライ!

結果教えてくださいね?☆

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おかげさまで昨日も3300点まで行きました!
ありがとうございます!!
  
Posted by late_bloomer at 00:05Comments(35)TrackBack(4)

2005年11月27日

そんな時は・・・

私はクールに装ってはいるが、実は短気で血の気が多い。
そんな自分が前面に出てしまった後は、急に反省し落ち込むことになる。
まぁ、短気な人間とはそんなものかもしれない。後先考えず突っ走るから、後で落ち込むことになるのだ。

私は、その落ちた時、一番寂しさを感じる。
自己嫌悪にさいなまれ、自信を失いかけるからだ。

そんな時、「またか。まったくお前は」とか言いつつ「しょうがないだろ、過ぎたことを悔やんでも。もう忘れろ」なぁんて彼氏に言ってもらい、甘えられたらどんなに嬉しいだろうか。だが、これまで彼氏にそう諭された経験は一度もない。では、彼氏は一体どうしていたのだろうか?

よく考えてみたら、そういう意味の“甘える”ということを、私はこれまで殆どしてこなかったように思う。いつも強気の姿しか見せてこなかったのだ。いつも強い姿ばかり見せていると、彼氏の方も“こいつには何を言っても大丈夫”という心理が働くようで、たまにちょっと弱気な事を言っても、大抵はさらに厳しく叩かれ、彼氏にも突き落とされることになる。

彼氏に限らず友人達にもその傾向は見られる。特に男友達だ。
私が生まれて初めてスキーをした時、騙されてリフトに乗せられ、気がつくと中級コースまで来ちゃった、ということがあった。リフトからは転がるように降りた。なんとか友人達に近づくと、彼らは私を置いてすーっと下りて行ってしまうじゃないか。「ちょっと待って・・」そんな声も小さく、彼らの姿もどんどん小さくなっていった。私は少しずつ下へずり落ちる事を試してみたが、生まれてはじめてのスキー板は、私の言うことなど全く聞いてはくれない。私は、身動きがとれなくなってしまい、固まってしまった。私の肩にも帽子の上にも雪が積もり、鼻水までも凍ってしまった。

やがて、一度下まで下りていった友人達がまたリフトで上がってきた。
一人は、ニヤニヤしながらまた下へ下りて行き、もう一人は「お、どうした?まだこんなとこにいるの?地上にいる時みたいに強気になれよ!」と捨て台詞を残し、去っていってしまったのだ。ここだって地上だ、でも、もう泣きべそだ。こんな時にそんな意地悪しなくたっていいじゃないかっ!

結局、一番優しい性格の友人が、自分の板の間に私の板をはさみ、腰を掴ませてもらって、ゆっくり下まで連れて行ってもらい、無事生還することができた。
しかし、幾ら彼らでも、私が可愛らしく甘えられるタイプだったら、こんなことはしなかっただろう。

それにしても、どこでどうやって人は“上手に甘える”という術を学ぶのだろう?
生まれつき持ったものなのか?それとも環境が作るのか?

甘え上手な人は、性別に関係なく甘えることができる。
そういう人は確かに同性から見ても可愛いし、優しくしてあげたくなるものだ。

だが、そうできない私のような人間は、ぐっとこぶしを握り締め、その寂しい、甘えたいという気持ちをこらえながら、大掃除をしたり、古いものをバンバン捨てたり、風呂に入ってみたり、気持ちを紛らわせ、さっさと眠っちまうことで忘れるよう努力するのだ。そして、また一つ強くなっていく・・。

しかし、最近めっきり弱くなった。
時々、頑張りきれない時がある。誰かに甘えたい、そんな気持ちになってしまうのだ。だが、突然甘え上手になれるわけもなく、結果、なんともいびつで天邪鬼的行動に走ってしまうことになる。それを“甘え”と見抜いてくれる人は稀だ。なんてったって、自分自身でもどうしてこんな態度になってしまうのかわからないからだ。

処世術として、“上手に甘える”ということはとても大事なことだと思う。
男女関係だけでなく、仕事をうまくこなしてる人は、皆甘え上手だし、嫁姑問題を軽くこなしているのも甘え上手である。甘え上手に敵なしだ。

そんな私も、最近やっと、首をかしげて“甘えてる時の顔”ができるようになったが、「気持ち悪い」と言われるだけで今のところ効果は一向に現れていない。
どうやら顔を作るだけではダメらしい。

憧れの甘え上手。
私の今一番の課題は、“気持ち悪い甘え顔”から脱皮し、華麗にしなやかに甘えながら飛び回る、“本物の甘え上手”になることだ。

春になる頃には、羽ばたいていきたいな。。

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昨日はなんと3300点突破しました!
ありがとうございました☆  
Posted by late_bloomer at 00:02Comments(16)TrackBack(2)

2005年11月26日

実録!派遣社員

昨日アップした「タイトル」という記事に対していただいたコメントの中で、大変興味深いものがあった。話は「タイトル」の内容そのものについてから、「派遣社員とは」というやり取りに発展した。

これから派遣社員として仕事をして行こうと考えている方に、派遣社員がどういう位置づけとして考えられているのか、また、派遣として働いていた者がどういう気持ちで働いていたのか。双方の考え方が良く現れているやり取りだったと思う。
今後の参考になればと思い、以下、そのやり取りを抜粋したので、読んでいただけたら幸いである。

<いただいたコメント 
興味深く読ませていただいておりますが、読むほどに疑問が湧き上がって来ます。
何故、派遣社員の道を選んだのでしょう?正社員と同等な仕事をすることの何が疑問でしょう?30代への厳しい目とは何でしょう?本当に今の世は30女を見下していますか?
「女としての幸せは幾らでも道がある」には共感しますが、欲が多すぎて自らの義務や責任を見失っていたり、年齢相応では無い人に対してだけでは?
そもそも価値とは自分で決めるものではなく、周囲から認められて初めて生まれるもの。自分をレベルアップすることで価値を高めていくのでは?

批判的なコメントと解釈されそうですが、読む度に余裕が無いような気がして心配になってしまいます。肩の力を抜いて、もっと気楽に生きたらどうでしょう?

<コメント,悗硫鹽>
派遣社員の道を選んだ理由は一つ。
すぐに働いてお金を得る必要があったからです。選んでいる猶予はありませんでした。

そしてなぜ、正社員と同等の仕事に対して疑問を持つかという質問ですが、昨今の派遣社員とは、名前だけが派遣であって、実際は社員と同じ仕事をしなければならない。けれど、社員とは待遇がまったく違います。
私がいた会社では、派遣社員に仕事を押し付け、悠然とサボっている社員の男性がたくさんいました。彼らを見るたび、年収一千万円もらっている人たちと、なぜ同じ仕事をしなければならないのだろう?と疑問に思いました。そう思う方が普通だと思います。

欲が多いのは悪いことでしょうか?
義務や責任を怠っている人には、幸せの道はたくさんありません。
そもそも、そういう人たちは何も悩むこともなく考える事さえしないでしょう。

>自分をレベルアップすることで価値を高めていくのでは?
その通りです。だからこそ、自分をどんどんレベルアップさせて行こうよという意味で書いています。価値や評価は周りがすることかもしれません。でも、そのジャッジがすべて正しいとは限りません。時には自分で価値を認めてあげてもいいのでは?と思います。

余裕がないように思われて当然かもしれません。
私は今発展途上におり、一生懸命に頑張っている最中だからです。
すべての文を読んでいただいてはいないと思いますが、適当な暮らしぶりを綴っているのもありますし、結構ゆるゆるな生活してますよ☆
真摯なコメントありがとうございました!

<いただいたコメント◆
早速のお返事、ありがとう御座いました。
yukikoさんが仰る事もわかりますが、派遣社員の扱いはどこの会社も同じでは無いでしょうか?下手をすれば社員より高い自給で派遣会社に委託していますから、お金を払っている以上は最大限の労働力を求める事は当然かと思います。
うちも派遣会社と似た形態で仕事をしており、若い人達もあなたと同じ事を言いますが、何故出先の社員と同等の権利を求めるのかが疑問なのです。仕事の関係で偶然大企業に出向き、そこの社員と肩を並べて仕事をしてはいますが、そこの社員では無くうちの社員なのです。
うちの信用が有ってそこで働けるだけで(稀に正社として引き抜かれる者も居ます)、そこの会社に雇って下さいなどと言っても普通は無理なのですよ。派遣社員である以上は不要になればいつでも切れる、保障に値しない労働力でしかないのです。

それと、心配なのは生活では無く気質なのですよ・・・。

<コメント△悗硫鹽>
私が入った頃はまだ、派遣社員はただのアシスタント業務だけでした。これは時給に見合ったものであり、精一杯努力するのは当然のことと思います。ところが、どんどん企業側が安くて使い捨てできる人材として派遣社員と社員の仕事を同レベルまで持っていった。そして、社会はその派遣を守る為の法も改正しましたが、その法を潜り抜けてまで安く使える派遣を使いまわすようになった。その頃疑問を持ち始めたのです。でも、派遣と言う立場を選んだのも自分です。だからこそ、このままではダメだと思い、奮起し、次の目標を立てたということです。正社員と同レベルの仕事をして、同等のお給料がほしいとか保障がほしいとかそういうことではありません。大企業の社員になりたいわけでもありません。ただ、安月給で使い捨てされる自分の仕事に疑問を持ったということです。それがわからないほど、未熟ではありませんよ。。

もちろん生活苦とかそういう意味でお答えしたわけではありません。
気質についてお答えしたつもりです。私は余裕を持てるほどまだまだ人間の器ができているわけではないし、他の文章では、だら〜っと気を抜いた生活もしているという意味で書かせていただきました。

ただ、それぞれ皆持って生まれた性格でしか生きられないと思いませんか?
私はこの気質と向かい合って生活していくしかないのですから。。
自分でできる力の抜き方、それは私なりにしているつもりです。

以上、初めての熱い討論でした☆

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昨日は3200点に到達しました!
ありがとうございました!!
  
Posted by late_bloomer at 02:10Comments(23)TrackBack(1)

2005年11月25日

タイトル

私は、ブログを始める数年前にも、ワードに文章を書き残していた事があった。
当時は会社に入ったばかりで、毎日が新鮮だった。そんな気持ちを書きとめておきたかったのだろうか。その文章からは、新入社員の目線で書かれていることがよくわかる。

たった5つくらいのトピックで終わってしまっているが、その頃から既に書きたいという気持ちがあったのだ。そう思うと、今こうして毎日のように何かを書くようになったのも、自然の成り行きだったのだと思える。だが、その当時とは逆で、今回書き始めたのは、絶望の淵から這い上がろうとしてのことだった。

三十代も後半を過ぎ、派遣社員で、未婚で、病気になった。
比較的年齢層の高い派遣仲間だったが、それでも辞めた頃は、私は最年長になっていた。新人だった頃から、いつの間にか何人もの新しい派遣社員に仕事を教える立場になり、薄給ながら正社員と同じような仕事をすることに疑問をもち、今後の自分の人生をどう設計していくか思いあぐねていた頃、社会から放り出されるようにして“何もない私”になってしまったのだ。

だが、何もない私になったおかげで、本能の奥底に眠っていた“書きたい”という気持ちが目を覚まし、ひたすら書くことを中心とした、今までになく充足した毎日を送れているのである。人生どう転ぶか本当にわからないものだ。

「女の価値は自分で決める」というタイトルはすぐに決まった。

今の世の中、30代に入っただけで厳しい目にさらされる。
テレビドラマや本、そこらじゅうに30女を見下している感がある。
実際、私も20代から30代になる時、ものすごく憂鬱だった。それは、そういう世の中に、私がどっぷり浸かってしまっていたからだろうと思う。

だが、すべてをなくして“何もない私”になった時、そんな思いに縛られていた自分がとてもバカバカしくなった。なんてもったいない時間を過ごしてしまったのだろうと。“世の中の誰がなんと言おうと、どんな目で見られようと私は私じゃない”そう思い、そんな気持ちをどんどん吐き出したくて、「女の価値は自分で決める」というタイトルにたどり着いたのだ。

私は、多くの30代、またはそれ以上の年齢の女性が、この世の中の風潮に惑わされ、苦しんでいる姿を見てきた。その誰もが素敵な女性で、悩む必要などない人ばかりなのである。そんな女性達に、微力ながら楽になってもらいたい、そんなちょっと生意気な気持ちもあった。

人として、女としての幸せは、幾らでも道がある。決して一つなんかじゃなくて、選択肢はたくさんあるのだ、と。世の中からみた今の私は「負け」と評されるだろう。“そんな私でも、幸せを感じることがいくらでもできるのよ”そう発信することで、「なんだ、私なんてもっと幸せじゃん」って思ってもらったり、「皆同じようなことで悩んでるのね」と共感してもらったり、ここがそんな場所になったらどんなにいいだろう、そんな思いを込めて書き綴ってきたのだ。

だが実際、私はまだまだ教わるばかりである。
もっともっと進化をとげたエッセイを書いていきたい。
その為に、これからいろいろな経験をして、それらを貪欲に吸収して行きたいと思う。そうして、上手に年齢を重ねて行けたら何よりである。

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昨日は久しぶりに3100ポイント達成しました!
ありがとうございます☆
  
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2005年11月24日

生の力

国際千葉駅伝が今年も終わった。
何年も前からその存在は知っていたが、選手を応援する為沿道まで出向いたのは今年がはじめてである。

毎年、コースを車で通るたび、通行止めのお知らせの看板を目にしていたので、「あぁ、この日のこの時間帯はここ通れないのか」と思うだけで、マラソンに興味は殆どなかった。テレビ中継は家にいれば見た。私の庭とも呼べる範囲を、世界各国の選手が走るなんてなんかすごい。そんな感情しか持ち合わせていなかったのだ。

だが、なぜか今年は絶対マラソンを生で見たい、という気持ちがムクムクと湧き上がってきた。やはり、環境の変化が私の気持ちを変えたのだろうか。
冬の優しい日差しを浴びながら、母とゆっくり沿道へと散歩がてら歩いていった。

テレビ中継を見る限りは、人が重なり合って旗を振っているイメージだったが、ギリギリに着いたにも関わらず、思ったより人は少なかった。そのおかげで、私は最前列で見ることができた。通り過ぎていく選手との距離は1mもなかった。思ったよりスピードは速い。あっという間に皆通り過ぎていく。男子から始まり女子の最後の選手まですべて見送った。

日本人選手も外国人選手も、私は誰も名前を知らなかった。
だが、そんなことは全然関係ない。肌の色も髪の色も目の色も、そんなことも全然関係なかった。どの選手も苦しそうな歪んだ顔をしていた。それでも猛スピードで私の前を通り過ぎていくのだ。誰もが必死になって走っている。手を抜いてる者など誰もいない。そんな姿を見ていたら、その一人一人に声援を送りたくなった。

私は、必死に旗を振って応援した。
声を出して応援したかったが、胸にぐっとくるものがあり、声にならなかったのだ。マラソンがこんなに魅せられるものだったなんて・・。

テレビで有名な選手が走っているのを見ると、その人ばかりに目が行ってしまい、その他の選手の頑張りは殆ど目に入ってこない。だが、その場で最後まで見送っていると、どの選手の頑張りも見ることができる。最下位の選手が物凄く辛そうな顔をして走っているのを見た時、今迄で一番強い気持ちで旗を振った。「もうちょっとだから頑張って!」と。

そんな、私が沿道で感動しまくっていた頃、通行止めのギリギリのところに車を止めて、その車に乗ったまま観戦している人達もいた。彼らの目には一体何が映っていたのだろうか。

感動しつつ応援しつつも中継車が通るたび、ちょっと顔を作ったりしていたので、家に帰ると早速テレビに釘付けになった。“私、どんな感じで映ってるんだろう。きゃ〜!”

だが、私達が立っていた場所は、唯一ドラマのない場所だった。その直前には急なアップダウンがあり、その先には中継地点があった。その真ん中の平坦な、誰もがほっとするような、そんな場所に私達はいたのだ。他の場所はほんのちょっとでも必ず映っていたのに、“あっ!”と思った瞬間、場面は飛び、先にあった中継地点をテレビは映し出していた。・・・ちょっと、いや、かなりガッカリした。

こうして、世界の国の人々が、私達の街にやってきて感動を与えてくれる。
ずーっとそんな社会であって欲しいと純粋に思った。

だが、同じ物を見ても、その時の自分の置かれている立場や環境によって、物の見方は変わってくるだろう。私は、今回の生マラソンを見て“今の私、悪くないじゃん”そう思うことができた。

果たして、来年はどう感じるのだろうか。。

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2005年11月23日

私の贅沢

毎日ぷらぷらした生活をしていると、本当に曜日の感覚がなくなってしまう。
毎朝、新聞を読んではいるものの、意外と日付は見ないものだ。
今はこれといって好きなテレビドラマもあまりなく、曜日を思い出させることといったら、“休日”くらいである。

平日に自由がきく私は、土日や祝日にわざわざ外出することはない。何処へ行っても混んでいるし、平日のようなサービス料金は一切ないからだ。だから、ちょっと外出しようかなと思ったときに「あれ?今日は土曜日か?」なんてことになると、「んじゃ、今日はやめとこう」と家に引きこもることになる。

しかし、平日にお休みっていうのはこんなに贅沢なことだったのかとつくづく思う。大勢の人が休みであろう日や、会社から開放されるであろう時間帯から、いきなりいろいろな物の値段がUPする。一生懸命月曜日から金曜日まで働いたのに、それはないだろうと思うものの、そうしていろいろな商売が成り立っているのかと、一方では納得せざるをえなかったりする。

そのせいか、私は会社員をしていた頃から、休日に外に出たいと思わなかった。
一人遊びが上手な私は、特に休日に誰かと何かをしなくてはいられない、ということがなく、自分の自由に使える時間を満喫していたものだ。

だが、私のような人間とは逆で、休日に出かけないといられないという人もいる。
最近は滅多に会う事がなくなってしまったが、その彼女はいつも土日の予定がびっしり入っていた。常に誰かと約束し、出かけていないと頭がおかしくなるんだそうだ。
そんな彼女にとって私は、とても都合の良い補欠要員だったのだろう。誰かとの予定がキャンセルになると、よく私に連絡をよこした。「これから迎えに行くからどこか行かない?」と。私は気が向けば出かけたし、今日はのんびりしたいと思えば断った。

ある週末、彼女は土曜日も日曜日もキャンセルに遭い、最後の頼みとばかりに私に連絡してきた。あいにく、たまたま私も風邪気味だったので、「今日はだるいからやめとく」と言うと、いつもよりしつこく誘ってくるではないか。「迎えに行くしもちろん帰りも送る。食事もご馳走するから」と。そこまでしても出かけたいのか・・。だが、私が家にいたいのと、彼女の条件は一切関係がない。私は「ごめんね、今日はほんとにだるいから」ともう一度断った。すると彼女は「ふーっ」とため息をつき、「ねぇ、どうしてずっと家にいられるの?」と私に聞いてきた。「どうして?って言われても・・私は家で過ごす休日が好きなのよ」としか言いようがなかった。

そして彼女は「お休みの日に誰とも会わないとか、何処にも行かないで過ごせる人が本当は羨ましい」と言いだした。「えぇ?じゃぁ、家でのんびりすればいいじゃない」私が応えると「でも、できないのよ。家にじっとしていられないの」と言う。「じゃぁ、一人でどこかに行くっていうのは?」と聞くと「それじゃぁ、ダメなの。誰かと出かけることに意味があるのよ」と悲しそうな声で言うと電話は切れた。

周りを見渡してみると結構彼女のようなタイプはいるものだ。
母も姉もそういうタイプだ。家でじっとしていられない。
疲れていても無理してでも外出しようとするのだ。
私にはちょっと理解しがたいが、人の価値観はいろいろ。
その人が納得できる休日を送っていればそれでいい。

だが、家にいるタイプはいろいろと悪く言われることが多い。
「家にこもってばかりいないで外出したら?」とか「遊ぶ人いないの?」とか。
うるさいなぁ。まったくわかってない。

家でのんびりできることがどんなに贅沢なことなのかってことを。。

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2005年11月22日

魅惑の玉遊び

私は、パチンコや競馬などのギャンブルはやらない。
なぜなら勝つと思えないからだ。

パチンコ屋さんに足しげく通っている人の話を聞くと、大抵が「今あるお金が何倍にもなる」と思っていたり、「今月の給料日まで、もうもたないから勝負するしかない」と思ったり、どうも頭の中で“勝ってお金を手にしている自分”を想像するらしいのだ。そこが私と違う。私はどうしても「このお金があったらアレ買えるのに」とか「コレも食べられるのに」など、今あるお金をいかに有効に使うかを先に考え、パチンコをやった時の自分は“負けてお金が空っぽになった自分”しか想像できないのである。そんな弱気で奴らに臨んだところで勝てるわけがない。

だが、そんな私も一時期パチンコ屋さんへ通いつめたことがある。

合コンで知り合った彼は、とても遊び上手だった。
車ごとフェリーに乗って東京湾を渡り、葉山御用邸のあたりをドライブしたり、彼のお手製のお弁当を持って花火を見に行ったり、台風の日には、突然会社に迎えに来てくれたり。彼といるといつも楽しかった。

だが、そんな甘い日々はそう長くは続かない。
私達の関係は、だんだん慣れ親しんだ関係へと移行していった。
もちろん、それが悪いというわけではない。だが、その頃になって、初めて彼が無類のパチンコ好きだということがわかったのだ。だが、私の気持ちはすぐ萎えるはずもなく、とにかくパチンコだけはやめて欲しいと訴えるしかなかった。

なぜ、私が、彼がパチンコ屋さんへ行くのを嫌がったかと言うと、まず、当時のパチンコ屋さん独特の雰囲気が嫌いで、自分の彼がそういうところに出入りする姿を想像するのがいやだった。そして、なんといっても時間にルーズになる。約束した時間になっても現れず「今いいとこだから」という理由で私は何度も待たされるようになった。それが本当に嫌だった。そう訴える私に「一度やってみると、その気持ちわかってもらえると思うんだけどなぁ」と彼が言ったのが発端で、いつしか私もパチンコ屋さんへ同行することになってしまった。

彼が好きなパチンコ屋さんには、超慣れたおっさんやおばさんばかりがいるように見えた。一生懸命お洒落している自分がなんとなく場違いな感じがした。
当時のパチンコ屋さんは、それはそれはタバコの煙がひどく、お店に入っただけで息ができなくなりそうだった。顔をゆがめている私を見て彼は、始める前に一言だけ言った。「いい?絶対これからも自分のお金ではやるな。一人でお店に来るようにはなるな」と。そしていつも彼は私の隣に座り、私の台へも彼が常にお金を入れて遊ばせてくれた。

不思議なもので、慣れてくると座っているのがだんだん苦痛でなくなってくる。
気が付くと、開店から閉店までいた、なんてことがしょっちゅうあった。
おっさん達にまじって、開店前に並んだことすらある。
パチンコ台の前に座っていると、無の境地に入る。目は一生懸命銀色の玉を追っているものの、頭の中は空っぽだった。それがなんとなく心地よかった。

最初の頃、私は彼が幾ら使い幾ら負けたのか、はたまた勝ったのか、その辺の事情をよくわかっていなかったが、慣れてくると、彼がお財布から出す金額が大きいことに気が付いた。そして、ひどい時は彼は途中で銀行へ行き、お金を降ろしてくる。それでも足りないと「今幾ら持ってる?」と私に聞くようになった。時々私がいくらか出す時があったが、その金額分は後でちゃんと返してくれた。それでも私は心の中でなんとなく思った。“パチンコはやっぱり良くない”と。

だが、負けた時は質素に二人でカップラーメンをすすり、勝った時は豪勢に食事する。そんな時間の共有も若い二人には楽しかった。

ある日、私の台がまるで壊れてしまったかのように、後から後から玉が溢れ出して止まらなくなった。もう籠はいっぱいだ。店員さんが急いで籠を持ってきてくれた。籠を積み上げても、通路がふさがるくらいいっぱいになってしまった。店員さんがまたやって来て、「もう通路ふさがっちゃうんで、今ある分を精算してもいいですか?」と言った。私は「ええ、どうぞ。お願いします」と得意げに言った。“私、今このお店で一番出してるんじゃない?なんて皆羨ましそうな顔してるの?今日のクィーンは私で決まりね”と心の中で高笑いしていた。

やっと玉が出なくなり、彼と一緒に換金しに行った。
なんと30万円くらいになったのだ。今までで一番の稼ぎだ。
私の頭の中は、もう何にそのお金を使うかでいっぱいだった。
“とりあえず、もうすぐ車検だからそれに使って、あとは・・・・。”
なんて、いろいろリストアップする時間はそれはそれは幸せだった。

だが、待てよ。出資したのは彼だ。私は一円も出していない。
さすがに30万全部貰うわけにはいかないだろう。そう思い、私は彼に半分の15万円を渡すことに決めた。二人で山分けだ!

30万を手にしていた彼に、私は100万ドルの笑顔で「半分ずつにしようね♪」と言った。すると、今まで一度も怒ったことのなかった彼が、私をものすごくさげすむような目で見るではないか。どうした、一体何があったんだ?

やがて、彼は静かに切り出した。
「俺はこれまでずっとお前の分も出してきた。いつも勝ってたわけじゃない。だけど負けた時、おまえに請求したことがあったか?勝った時はそのお金で、二人でおいしいもの食べたり、遊びに行ったり二人で使ったよな」と。
・・・そう、彼の頭の中では“俺の30万円”だったのだ。。

二人の間に気まずい空気が流れた。
“確かに私は一度も痛い思いをしていない。バカ勝ちした時だけ山分けなんてずるいか。でも30万もあるんだから少しくらいくれたっていいじゃない、ねぇ”
そんなことを考えながら、頭の中はフル稼動していた。

そして私は「ごめんね。もうすぐ車検だから、その分のお金が出たって思って先走っちゃったの。」としおらしいことを言った。すると、彼はしばらく考えた後、「これで車検の足しにして」と言い、私に10万円渡してくれたのだ。
やった!私は心の中でガッツポーズをしていた。

やがて、二人の間に亀裂が生じ、別れがやってきた。
別れと共に楽しいパチンコライフともおさらばになった。
彼と別れてから、私は一度もパチンコ屋さんへ行っていない。
私は一人では勝てそうにないからだ。それに、せっかくあの時彼が「自分のお金でやるな」と言ってくれたのは、私がはまらないようにとの配慮だったのだろうと思う。それを無にしたくない気持ちもあった。

今でもふっとあの時のやり取りを思い出す。
私にとっての彼は“優しい人”のままだが、彼にとっての私はいつまでたっても“がめつい女”なのだろうかと。そう思うと、なんともやりきれない気持ちになる。

だが、今でも私はがめついままだ。仕方ない。

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Posted by late_bloomer at 10:23Comments(16)TrackBack(1)

2005年11月21日

学び

思い返してみると、私は看病する立場というものに殆ど縁がなく育った。
両親はずっと健康で、姉も弟も元気だ。私が一番病気に縁があったように思う。
そんな中でも、ほんの少しだけある看病の記憶を辿ってみた。

母が骨折して二度の手術を受けたことがある。入院中や退院後少しの間私が面倒を見たが、これは看病のうちに入らないだろう。骨折は順調に治って行く。しかも母はとても前向きな人で、リハビリも自ら進んでやり、コルセットがついたままゴルフをラウンドしてしまうような人だ。自由が利かない間、私にアレとってだのコレ持ってだの、そういうことを言うものの、病人ではなく前途明るい怪我人だった。私は、なるべく出来ることはしてあげようとは思いつつ、自分が用事のある時に何か頼まれると「ちょっと待ってよぉ、今忙しいんだから」などと言ってしまったものだ。

それと比較して、私の病気の一番厄介な点は、数字にいっさい表れないことだろう。
例えば、骨折とか熱が出るとか血糖値がどうだとか何か検査をして数字が出て、それをだんだん増やすとか減らすとかいう目標があれば、誰にとってもわかりやすい。だが、まったくそういった目安はない。どんな症状が現れるか、いつ治るのか、まったく未知の世界だ。そんな病人と向き合って看病するのはどんな気持ちだろう。

一度だけ同じような立場に立ったことを思い出した。
母が更年期障害に苦しんだ時だ。眠れないと言っては日中ゴロゴロしていたり、耳鳴りがする、めまいがする、いろいろな症状を訴えた。一人で外出できず、付き添えば途中で気分が悪いと言っては座り込む。私には何がなんだかまったく理解できなかった。母は私を頼りきり、いつも私の名前を呼んだ。その時私はどんな気持ちだっただろう。私は、“一体こんな状態がいつまで続くんだろう。そのうち私の方がおかしくなってしまうのではないか”と心の中で少々うんざりしていたのではないか。今なら母の気持ちを少しは理解できる。が、まだ若くて元気な私にとって、母が家でゴロゴロしているのは、私にとって重荷であった。。

・・なんて私は勝手なんだろう。
自分が病気になってからは、理解を求めるばかりで看病する側の人間の気持ちなど殆ど考えたこともなかった。病気の私が一番大変なんだと。そればかり主張していたように思う。

そんな私に、大切な友人から心のこもったメールが届いた。
許可を得て引用させてもらうことにした。以下、友人からのメールの文章である。
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私は病気の当事者の気持ちも回りで看病や見守ってる人の気持ちも両方わかる。。。つもり^^;

今更言うまでもないと思うけど、病気で苦しんでる本人が一番つらく大変な気持ちは痛いほどよくわかる。そして今回つらかったのは多分きつい事を言った友人がゆっきーにとって大切な人から出た言葉だから余計につらくなっちゃったんだよね。

でもね、自分にとって大切な人(家族・友人・恋人など)がつらい病気にかかって支える人ってね、当事者とは違う、その人が大切であればあるほど、何もしてあげれないつらさと治ってほしい思いで、気持ちとは反比例した言葉を口にしてしまうんだよ。それが人間だから。

”病気が良くなってない。一生治らない。甘えてる。精神が弱い”みたいにね。

私のお母さんが病気になったときね、あれよあれよと言う間に癌です。早急に手術です。手遅れです。残された期間をどう過ごしますか。病院ですごしますか。家で過ごしますか。ってなって家で過ごす事になったでしょ。

私お母さんの事、大好きでさ。毎日毎日痩せていって弱っていくお母さんを見るのはすごくつらくてさ、でも奇跡は起こるって思いながら過ごしてたわけ。でもそう思いながらも、ある時”もうお母さんはどうせ死んじゃうんだ。毎日毎日こんなにつらくてわがままな事言うなら早く死んじゃえばいいのに!”ってお母さんの汚物をお風呂で片付けながら泣きながら一人で叫んだ事あってさ。

その時訪問介護で来てくれてた看護婦さんに、私がそんな悪魔みたいな事言ってしまった。って言ったら「それが当然なのよ。人間なんだから。あなたは本当によくやってる。どんなにできた人やそれを仕事としている私達やドクターでも自分にとって大切な人であればあるほど、そう思ってしまうものなのよ。だからそんな自分を責めちゃだめなのよ。」って言ってくれてね。でもこの葛藤は最期まで続いたんだよ。

身内でもそう思ってしまうんだから、そのお友達にも別の角度のつらい気持ちや葛藤があるんだと思う。

でも、今回旅行をキャンセルしてしまった自分を責めないで。
行かなくてよかったんだよ。第一さ、先生に言ったら止められるってわかっていたのに言わずに行こうとした事がまず×ですぞ!

私の担当医がこの間の診察の時、「とにかく色々考え過ぎないこと。先生の医学的知識や、家族、自分の考えをふまえて自分の生き方や人生を考えて治療法は決めていくんだよ。」って言ってた。

この言葉は深いでしょ☆
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彼女は、一番遊びたい盛りの二十代のはじめにお母さんが癌になり、家で過ごしたいと言うお母さんの気持ちを尊重し、会社を休職してお母さんを看取った人だ。そして、自らも今、病気かもしれない環境にいる。現在の検査では白か黒かはっきりしないグレーゾーンにあり、定期的に検査を受けているのである。

病人だけでなく、その周りの人間もいろいろな気持ちがあり、葛藤して苦しんでいるということを、今回、皆さんからいただいたコメントや、友人からもらったこのメールで痛いほどわかった。

そして、もし自分の周りの大切な人が病気になったら、できることを精一杯し、彼女のように、思い切り別のところで気持ちを吐き出そうと思う。

なぜなら、やはり病人に思いのたけをぶつけるのは、自身の経験から、酷なことだと思うからだ。もし伝えたいのであれば、最も適切でソフトな言い回しができるようにしたい。

これからも私は、甘えたい時は甘えようと思う。
だがその裏で、相手の気持ちも考慮できる人でありたい。
ゆっくり自分のペースでそれらもできるようになったらいいと思う。

*皆様、本当にありがとうございました。
 私、思い切って書いてよかったです。
 自分の目線でしか考えられなかった私に、たくさんの考えを教えていただき、
 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 
といいながらもさらに人気blogランキングの応援クリックをお願いする私。かなり図々しいじゃん、ね〜。


  
Posted by late_bloomer at 11:58Comments(9)TrackBack(2)