ここのところうちの犬、また一段と年を取った。今までもノロノロ歩きだったが、もう何処から見ても老犬そのものの歩き方で、顔は下を向き、私が止まると彼女もそこで止まってしまう。だから、私がやや引張り気味に歩くような形になる。人間だったら、“今これだけ疲れてるから、もう先に進むのはやめて帰ろう”と思うところだが、彼女はそんなことちっとも考えず、最近ますます長い距離を歩こうとするようになった。帰り道はそりゃ、遅い。そんなに疲れるならもう強制的に近場で散歩を切り上げよう、そう思っていた。
そんな中、今日初めて散歩の途中で座り込んでしまったのだ。
今までも途中でじーっと止まっていることはあったものの、道の真ん中で座り込んでしまったのは、初めてだ。すぐ立ち上がって歩き出すだろうと思ったが、意外と長いこと座っている。そこへ自転車に乗ったおじさんが通りかかり、「なんだぁ、お前、犬だろ、しっかりしろよ」とニコニコしながら話しかけてきた。私は「ヨボヨボなんですけど、座り込んだのは今日が初めてなんです」と答えると、おじさんの犬は生まれつき心臓が悪く、長い距離が歩けず、いつも途中で同じように座り込んでいたと教えてくれた。その犬を思い出したのだろう。とても優しい目でうちの犬を見ていた。「もう13歳で」というと、「そうかぁ、あ〜、老人の顔してるわ」と言って笑った。その時やっとばあさん犬は立ち上がって歩き出そうとしたので、おじさんは私に「頑張ってな」と言って去ってしまった。
うちの犬は、今のところ病気はない。ただ、年をとっているだけだ。だが、いずれ自力で歩けなくなり、介護が必要になるときが来るだろう。彼女は14キロある。獣医のところへ車で連れて行くとき、私は助手席で彼女を抱っこするのだが、座って抱っこするだけでもかなり疲れる。
だが、犬の介護は人の介護とは比べられないくらい軽いものだ。
こちらも近い将来やってくるだろう。母が入院した時、下の世話は介護士がみなしてくれたのだが、介護士には言えないわがままを母は私に言うので、「きったないもん見せないでよ」と言いながら何度もアソコを見る羽目になった。だが、実際抵抗は全くなかった。母の世話はできるのではないか、その時そう思った。
私のお隣さんは、母と娘の二人暮しをしている。
お母さんは、認知症でほぼ寝たきりの生活をしているので、娘さんは仕事をやめ、毎日一人でお母さんと向き合っている。彼女は「母のことをあまり人に触らせたくないの」と言ってなるべく業者には頼まない。そして子供のようなお母さんの言葉に、いつも「そうね〜、とっても綺麗よ」と答える声が聞こえてくる。毎日毎日繰り返される会話だ。だが、彼女はとても明るく、いつも元気な声で私にも挨拶をしてくれるのだ。
私にそこまでできるだろうか?
そして、父の介護が私にできるだろうか?
世の中には、自分の親ではなく、義母や義父の介護をしている女性もたくさんいるというのに、私にそれができるだろうか?
私は今、まだまだ自分の体のことで精一杯だ。
すべては自分が健康でなければ始まらない。
誰もが寿命まで健康に過ごし、眠るように逝ってしまう。
そんな最期だったらどんなに平和な世の中になるだろう。
などど言っている私、まだまだだな。
どきどきランキング
↑クリックいただけると助かります!お願いします。