2005年07月17日

それぞれの結婚式

私が生まれて初めて結婚式に招待されたのは、19歳の時。中学校の同級生の結婚式だった。彼女は中学を卒業すると、美容の専門学校へ行き、誰よりも早く社会に出た。何度か彼女の勤める美容院へ行って、シャンプーをしてもらったことがある。なんだかとってもくすぐったかったのを覚えている。彼女はそこで運命の出会いを果たし、結婚することになった。

若くて初々しい花嫁は、本当に可愛くて素敵だった。
私は、すごく感動し、式の途中から涙が溢れて止まらなかった。
そして、無事式が終わり、披露宴が始まった。出席者は、両家の親族とそれぞれの友人が数人で、とてもこじんまりとしたものだった。披露宴の最中は、彼女のお兄さんがずっと出席者の席をお酌しながら回り、丁寧にお礼の挨拶をしていた。私のような子供相手にも真剣な眼差しで「本当に出席してくれてありがとう。これからも仲良くしてやってください」と言って、頭を下げた。私は胸がいっぱいになった。なんて素敵な結婚式なんだろう。この席にいられたことに、感謝の気持ちでいっぱいだった。

それから数年すると、友人がどんどん結婚し、何度か結婚式に出席させてもらうこととなった。この19歳の時の結婚式とは対照的に、大きな式に出席したことがある。招待客は500人、披露宴は約4時間ほどかかった。スープは冷めていて、なんとか議員だのわけわからない人がたくさん挨拶し、結婚する友人は遥か遠くに座っていた。会場も料理もすべて立派なものだったし、彼女の指には大きなダイヤが光り、新婚旅行は世界一周するという。だが、あの時の感動は私の胸にはなかった。

私はホテルの宴会部でアルバイトをしたことがある。
ある時は巫女になり、またある時はチャペルの照明係をし、またある時は、クローク係りにもなった。

そこのホテルの巫女はすべてホテルの社員かアルバイトで、本物の巫女ではない。一度衣装を着て、見学の為、式に列席する。そして何度か練習をした後、本番デビューとなる。最初は私もものすごく緊張した。だが、慣れとは恐ろしいもので、何度か巫女になるうち、緊張も感動も何も感じなくなってしまっていた。

慣れてくると、いろいろ見えてくる。
緊張度が激しいのは新郎の方、とか、マリッジリングのデザインがまったく違うカップルがいること、どちらかが式の間中むっとしていて全然幸せそうじゃないことや、親族の挨拶であがってしまった新婦の父親が、「私が新婦の旦那です」と言って爆笑してしまったこと、などなど。

そして、人の一生に一度のセレモニーに私が巫女として参加していいものだろうか?偽者の巫女がやる式が神聖なものと呼べるのだろうか?結婚式というものについて、深く考えさせられることとなった。

私はもともと結婚式や披露宴に対して、あまり夢や憧れを持っていなかった。一生の思い出となる大事な門出であることにはかわりないが、だがその先の、これからはじまる現実の生活の方が、何倍も大切だと思うからだ。

昨今は結婚式も披露宴も選択肢が広がり、二人で作り上げていくものが主流になっているという。私もいつか結婚する時が来たら、本当に祝ってくれる近しい友人と家族を招き、わざわざ時間を割いて出席してくれた人々全員と話ができる、こじんまりとした簡素な席を設けたいと思っている。

だって、式や披露宴でお金と体力使っちゃったら、その先続きそうにないんだもん。

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2005年07月16日

女の命

私は小学校6年生まで母に髪を切ってもらっていた。オカッパ頭の小学生だったのだ。それでも私なりに拘りがあり、大雑把な母が、バツンと前髪を切りすぎては、「こんな頭じゃしばらく学校へは行けない」と文句を言ったものだ。

中学校を受験することになり、初めて美容院へ行った。
母に付き添われて行った美容院は、家の近所のいわゆるパーマ屋さんで、奥さんが一人でやっていた。「受験用の写真を撮るからお洒落にしてあげて」と母が言うと、「今流行のダイアナカットにしてあげるね」と奥さんは言って切ってくれた。今までのまっすぐなオカッパから、細かい段が入ったダイアナカットが仕上がった。「どうかな?」と聞かれても、私は鏡を見るのが恥ずかしくて、うつむいたままうなずくのが精一杯だった。
それ以来、母に髪を切ってもらうことはなくなり、私の髪に対する拘りは、思春期と共にだんだん強くなっていったのである。

先日美容院へ行った時、白髪とハゲについて、美容師さんを質問攻めにしてきた。私の母は、髪が薄い。私は将来自分も薄くなるのでは?と心配しているのだ。ハゲについては、「今から心配してるの?まだまだ先の事だから、心配しなくても大丈夫」と言われたので、近い将来現れる白髪について教わることにした。

白髪が出るメカニズムはまだ解明されていないという。
若くても白髪がある人はいるし、50歳を過ぎてもまだ一本も白髪が無いお客さんもいるという。そして、仕事がハードになると白髪が急に増え、ゆっくり休みが取れると白髪もなくなっていく、というお客さんもいるという。“ふ〜ん、じゃぁ、予防法もなく、白髪が出てきたら染めるしかないのね”そう思い、納得がいかない顔をしていると、美容師さんが、「白髪にしたってまだまだ先のこと。心配しなくても大丈夫」と言ってくれたので、私は安心してお店を後にした。

あれから数日、私はあと5日で38歳になる。
今まで一本も白髪はなく、手入れの甲斐もあってツヤツヤした髪をキープしてきた。それなのに、それなのに、今朝、一本の白髪を発見してしまったのだ・・。しかも、まるでオバケのQ太郎みたいに、ツンと3センチくらいの白髪が頭のてっぺんに立っている。何もこんな場所に生えてこなくてもいいのに・・。私はしばし呆然と立ち尽くし、何度も“金髪じゃないだろうか?”と鏡を覗き込んだが、やはり白かった。

そして自分の白髪をしばし眺めながら、この一本をどうするか考えあぐねた。母は「抜いちゃえばいいじゃない」と言ったが、とりあえず油性のマジックで塗ってみた。が、短いしなかなかうまく色がつかない。相変わらず、ピンと背筋を伸ばして立っている。それを見て、“しばらくこの白髪と付き合ってみようじゃないか”と私は決心した。

そして私は、今まで母にしてきた仕打ちを深く後悔した。
母が「今晩白髪染めして」という度に、私は嫌な顔をした。服が汚れてしまったり、臭いがきつかったり、なにしろ面倒くさい。「もう60過ぎてるんだから、白髪くらいどうでもいいじゃん」などと言っていたのだ。だが、幾つになっても髪は女の命。これからは、すすんで母の白髪染めに協力していこうと誓った。

シミができた時より、お尻が下がってきた時より、白髪を発見した今日が、今までで一番ショックだった。だが、それを乗り越え、人生の先輩方は女を謳歌しているのだ。私も受け入れ、前に進んでいかなくてはならない。

でも本当は、これがストレス白髪とかで、気が付いたらなくなってた、という展開を心の中で強く願っている。

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今日は私の白髪記念日。ハゲましの一票よろしくお願いします。  
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2005年07月15日

正しいドラマの見方

私はテレビドラマが大好きだった。とにかく新しいドラマが始まると、とりあえず全部チェックして、第一話は見る。それからふるいにかけ、生き残ったドラマのみ最終話まで見る、ということを結構長い間やってきた。

そして愚かにも、心にグッとくるキャラクターが出てくると、本気で“世の中に必ずこういう男の人がいるはず”そう思い、何度もぽーっとした。そして、せっかく現実に誰かとお付き合いが始まっても、“ダメ、違う。本当に彼が私を必要なら、もっと大切にしてくれるはず”などとドラマの中の彼と現実の彼を比較し、夢を見、白馬に乗った王子様を待ち続けていた期間があった。

私の心の中には、とんでもない理想がどんどん膨れ上がっていってしまったのだ。だから私の恋愛は、相手そのものを受け入れるのではなく、その相手をいかに自分の好みに変えていくか、理想に近づけるか、それが一番の課題だったように思う。一度、「お前と一緒にいると、学校の先生といるみたいだよ」と言われたことがある。“だってしょうがないじゃない。あなたが私の期待に応えてくれないんだもん”そう思い、あれこれ指示を出し続けた。「どうしてそんなことするの?「なんでわからないの?」そんな言葉の連打だった。最初は頑張ってくれていた彼も疲れ果て、やがて終わりを迎える。このパターンが多かった。

その後付き合った彼と、一緒にドラマを見ていた時、私が「あぁ、こんな人が彼氏だったらなぁ」とぽろっと言ってしまった事がある。すると彼が「お前、アホか?これは作り物なんだよ。こんな男いるわけないだろう」とあっさり言うではないか。“え?現実にいないの!?”かくして、私はやっと目を覚ますこととなった。

いやー、それにしても、私は一体何様のつもりだったのだろう。
作り物のドラマの中だって、優しい彼が好きになる女の子は、何かに一生懸命だったりと魅力があり、たとえ反発する時があっても、最終的には、彼そのものを受け入れ、彼の為に一生懸命になる。そんな女の子ではないか。なのに私は、相手に求めるばかりで、自分はそのままでいいと思っていたのだ。勘違いも甚だしい。自分で自分が恐ろしい・・。

相手のことは目に付きやすいが、自分の事はなかなか見づらいものだ。周りに良い人がいないと思ったら、まず自分を見てみよう。自分がどれほどのものなのか、自分が望む相手に、望まれる自分であるのか。それがわかると、おのずと自分にとって素敵な人が現れるだろう。

相変わらず、私は今でも彼ができるとあれこれと文句をつけてしまう。だが、その後には、自分でも気持ち悪いと思うくらいの猫なで声を出し、甘えることにしている。これが彼にどう伝わっているかわからないが、これが私なりの一生懸命なのだ。

今、私はドラマを殆ど見ない。
作り物の世界より、現実の世界の方が楽しいからだ。
だが、時々「こんな人が現実にいたらなぁ」と思いつつ、グォン・サンウの肉体美をうっとり見ている。

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2005年07月14日

“とりあえず”

ゴルフを再デビューしてから、早一ヶ月が経った。その間、私はほぼ一日おきに練習場へ足を運び、母に教わり、シングルプレイヤーに教わり、プロのレッスンを盗み聞きした。その甲斐あって、随分しっかりとしたフォームが身に付いてきたと思う。だが、悲しいことに殆ど飛ばない。どのクラブで打っても飛距離は同じ。“やっぱり私はゴルフに向かないのだろうか”とだんだん練習場へ向かう足が重くなってきた。

そんな頃、半強制的に本コースに連れて行かれることになった。自分の実力は自分が一番良く知っている。まだまだ時期尚早だ。高いお金を払って迷惑をかけ、楽しめないのではますますゴルフが嫌いになってしまう。頼み込んで半分だけ回ることにしてもらった。

当日の出来は予想通り。私はひたすら一人コツコツ刻んでは走る、を繰り返すだけだった。“前と同じ。本当にいつか上達するの?”私は、このまま続けるべきかどうか考えてしまった。

私は、母のお古を使い、足りない分は母と共用して練習に励んできた。だが、コースに出るとそうはいかない。お金をかけて道具を揃えるべきか、やっぱり私にはゴルフは合わない、とひっそりフェイドアウトしていくか・・。

なんてったって、ゴルフ道具はやたらと高い。こんな気持ちで大金はとても出せない。そこで、とりあえず中古専門店へ行ってみた。中古と言えども良い物は高い。私はやっぱり無理だと諦めかけた。その時、親切なお兄さんがやってきて、私に丁寧にアドバイスしてくれた。そしてお兄さんは、私が今使っている母のお古は、初心者にはとても難しいクラブだと言った。「えぇっ、そうなんですか!?」そうか、やっぱりクラブが悪かったのか!ちょっとやる気が出てきたぞ。そして、お兄さんの言う通り、ものすごく安い、初心者用のクラブをバラで3本買うことにした。合わせて一万円なり。

早速、練習場へ行った。いや〜、楽しい、楽しい。多少芯をくらわなくとも、ちゃんと飛んでくれるのだ。あっという間に2時間が過ぎた。初めて“ゴルフって楽しいかも!”そう思えた。

二十歳で始めた時は、“ゴルフって楽しい”と思えないまま、フルセットを新品で揃え、ブランド物の重いキャディーバッグを選び、足にマメがたくさんできても本皮の高くて堅い靴を履いていた。私はただバカにされたくなかったのだ。“道具から入り、見た目で選ぶ”の典型だった。

それを考えると、私も随分変わったものだとしみじみ思う。中古の安クラブは、傷だらけでメーカーもバラバラ。キャディーバッグは、安くて軽い物を買った。靴も、幅広な私の足に合う履き心地の良さで安価なものを選んだ。コースに着ていく服は、マナーさえ守れていれば、何だっていい。それでも充分ワクワクする。

何事もやってみなくちゃわからない。“とりあえず”の気持ちで最初は充分だろう。新品で高いブランド物の道具を揃え、素敵なゴルフウェアに身を包んだ下手っぴよりも、古い道具を堂々と使い、綺麗なフォームでスコーンと飛ばし、すっと引っ込む。こっちの方が断然格好良いではないか。

何を持って良しとするかは人それぞれだ。
だが、私は、今持つ自分の価値観に自信を持っている。

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2005年07月13日

イジメに負けない

情けない話だが、私は一度、数十万騙し取られたことがある。
英会話学校に、カードで一括払いで契約し、入学することになった。だが、4〜5回通っただけで学校がなくなってしまったのだ。

消費者センターに急いで電話したところ、既に、同じ被害に合っている人からたくさんの連絡を受けているという。担当者は親身に相談に乗ってくれ、内容証明で文章を送り、学校側の担当者と実際会って話をしたりしたが、そのうち学校関係の電話は、一切繋がらなくなり、私はもう自分の力ではどうすることもできないことを思い知らされた。

その後、別の英会話学校が、支払った金額に相当する分、授業を受けさせてくれるということになり、一応、元はとれたものの、あの悔しさは今でも忘れることはできない。

だが、振り返ってみると、おかしなことはたくさんあった。まず、その学校には定休日はないにも関わらず、私が学校見学に行った時、受付の女の人がいただけで、生徒も先生も一人も居なかった。違和感があったものの、その時の私は「ガラガラだな」くらいにしか思わなかったのだ。そして、受付の女の人は、熱心に私に話しをし、契約を急いだ。あの時既に学校がなくなるのを彼女は知っていたはずだ。そう思うと悔しくてたまらない。彼女はどんな気持ちで私に説明していたのだろうか・・。

通った数は少なかったが、先生の質も悪かった。
人柄が悪いのではなく、ただの英語圏の国の人だっただけなのだ。初めて会う先生には必ず「自分の国ではどういう仕事をしていたか?」という質問をしてみた。すると「大工」とか「掃除機のセールス」とか、およそ教育とは関係のない仕事だったことがわかった。そして、ある先生はポロっと「お給料が遅れている」と言っていたのだ。こんなにいろいろ怪しい要素があったのに、なぜ私は騙されてしまったのか?

私は、28歳で大好きな彼と結婚を約束し、両親同士を合わせる段階まで行っていた。だが、電話で口論となり、それからうまくいかなくなって、結局別れることになってしまった。何日も泣き、眠れない夜を過ごし、起きている間は、彼のことしか考えられず、後悔ばかりの毎日だった。本当に苦しかった。

受験や就職試験に落ちるのと違って、失恋は、全人格を否定されたような気持ちになる。“私が、私がダメだったんだ”と・・。あまりに辛くて、この苦しみから逃れたくて、何かにすがりたくて、じっとしていられなかった。何でもいい、少しの時間でも気が紛れるのなら。。そんな気持ちで、私は動き出してしまったのだ。そんな私は、誰に騙されても不思議ではなかっただろう。負のパワーは負しか呼び込まないものだ。こうして私は、明らかに異変のある場所でさえ見抜くことができず、自分から騙されに行ってしまったのである。

失恋に限らず、うまく行かない時は誰にだってある。
だが、そういう気持ちを引きずったまま、一歩踏み出すのは大変危険だ。自分でしっかり気持ちにケジメをつけ、しゃんと前を向いて歩くことができるようになったら、新しい何かは向こうからやってくる。

弱いものイジメをする人間は世の中たくさんいる。
そんな人間に負けないよう、しっかり自分の足で立ち、睨みをきかせながら生きていこう。

おかげで私は誰よりも慎重な人間になった。それもどうかと思うけど・・。

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2005年07月12日

嫌われ者の彼女

会社にある可愛い女の子がいた。おそらく彼女を見た100人全員が彼女を“可愛い”と認めるだろう。それくらい彼女は可愛い顔をしていた。そのことを一番良く知っていたのは、他でもなく彼女自身だった。

彼女は、相手が女だろうが男だろうが、はたまた、おじさんだろうが何だろうが、愛想を振りまく。“そんなに近くに顔寄せられても困るんだけど”というくらい自分の顔を近づけて話をする。「私の顔を見て!」と、いつも彼女の顔は言っていた。

そんな彼女に言い寄る男はたくさんいたが、彼女には大好きな人がいた。ところが、彼は、彼女の気持ちにまんざらでもない様子ではあるものの、なかなか彼女の手に引っかからない。微妙な距離を保ったまま、一向に彼女のものにならなかった。

そんな時、彼女に猛烈にアタックしてくる男の子が現れた。彼女はその熱意に負け、その男の子と付き合いだした。彼は彼女のことが好きで好きでたまらなかった。彼女のわがままは何でも聞いた。夜中に酔っ払って「電車がないから迎えに来て」と言われれば、車を飛ばして迎えに行き、「ったく、今日の合コン最悪だよ」と彼にクダを巻いた。彼の家に行っても、ひたすら彼女はゴロゴロし、鼻水をかめば、ゴミ箱めがけてティッシュを投げ、入らなければそのままにする。彼の為に料理したのはフルーチェだけだ。だが、彼は、彼女といられればそれで満足だったのだ。ところが、結局、数ヶ月で彼女が別れを切り出すこととなった。「あなたじゃダメなの」「どこがダメなの?」「顔。」「どうしたらいい?」「整形して。」「・・・。」という理由で別れるに至った。

もともと彼女は、同性から嫌われていた。
なぜなら、自分で「今、5人の男からプロポーズされてるの。結婚ぐらいいつでもできる。でも、しないだけ。」とか「私は可愛いから女の子に嫌われるちゃうの」などと女の子に言ってしまうからだ。私は直接彼女と話をしたことは一度もないが、彼女に関わったことのある女の子全員が、彼女とは二度と口を利きたくないと言っていた。

そして、“顔を整形して事件”をきっかけに、男性からも「あの女何様のつもりだよ」と悪評が広まり、彼女が大好きだった彼の周りの人間からも嫌われることとなってしまった。

そこで彼女は、大好きな彼の先輩を落としにかかった。この先輩はなかなかの権力者で、統率力もある。その彼に“相談に乗ってください作戦”をしかけたのだ。そして、それまで彼女を悪く言っていた先輩は、コロっと態度を変え「あの子は悪い子じゃない。誤解されやすいだけだ」と言って、彼女を弁護しだした。ますます周りの女の子は、彼女に対し、敵意をむき出しにするようになっていった。女って怖いわね。

ところが、そんなことは彼女には関係なかった。
ついに彼女は彼を落とし、彼と同棲するまでに至ったのだ。彼女は彼の前では別人だった。彼の為に一生懸命料理を作り、彼の為に送り迎えをする。彼が他の女の子と旅行に行っても、許してしまう。そして、そんな日々を一年ほど過ごした後、彼女は32歳、彼は30歳で婚約した。

私は、知り合った時から彼女のことが苦手だった。サンダルをずるずる引きずりながら歩くのも、トイレの中で大きな声で下品な話をするのも、媚びた顔で仕事のミスを謝るのも、すごく見ていて見苦しかったからだ。だがこの一件で、私の彼女に対する気持ちは大きく変わった。やるじゃん、すごいじゃん、だ。

途中、大好きな彼との関係に発展がなく、めげて他の男の子と付き合った気持ちも理解できるし、その彼が甘すぎた為に、彼女がやりたい放題だったのもうなずける。「顔がキライ」という理由も本心だったのだろう。彼がどれだけ尽くしても、彼女のタイプではなかった。それは仕方のないことだ。

経緯はどうであれ、彼女は今、彼の為に一生懸命尽くしている。必死になって彼を掴まえようとしているのだ。いいんじゃな〜い。

周りの女の子は、「ほんと男ってバカ。結局、可愛い女の子に弱い。バカ女に騙されてるのも知らないでさ」と言っているが、どうだろう?二人が幸せならそれでいいじゃん。関係ない人間は、影からそっと見守るものだ。

だが私は、女は20代は追いかける恋愛を楽しみ、30過ぎて体力が落ちてきたら、追いかけられる恋愛を経て、結婚へもつれ込むのが一番だと思う。どうでしょう?

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2005年07月10日

いつかは○○○

私は車が大好き。小さい頃から好きで、家族で車に乗って出かけると、兄弟3人で車種のあてっこをよくしたものだ。窓から見える車の殆どを言い当てることが出来た。どの車も格好よく見えた。だが、すぐ酔ってしまった。。

大人になって免許を取って自分で運転するようになると、やたら高級車ばかりに目が行くようになった。自分には手が届かないと知っている分、高級車に目が行ってしまうのだろうか?箱根に行った時、私の乗った車が渋滞にはまっていると、反対車線をカウンタックがびゅーんと通り過ぎて行った。どんな人が乗っているのかわからないくらい速かった。格好良かった。

そうそう、私は高級車を見ると、どんな人が乗っているかも必ずチェックする。大抵、皆なんとなく気取っていて、視線は合わないものの「こっちを見てるな」という横顔をしていて、気に入らない。だが、見ちゃう。ちっくしょうだ。

私は運転も好きで、ギア付きでも左ハンドルでもなんでも運転できるのが自慢である。ここのところ立て続けに、ボルボ、アウディ、BMWのショールームに行って試乗させてもらう機会に恵まれた。

どこのショールームでも、コーヒーをご馳走になり、同乗した営業マンに運転を褒めてもらい、深々と頭を下げられ、見送ってもらった。貧乏人の私にはどの車も買えない。だが、営業マンにはそうは見えなかったのか、いや、どんなお客さんが来ても皆同じような対応をしているのだろう。だが、私は一人前の立派な大人になれた気持ちになった。まるでこれらの車が買える身分になったような。たまにはお金持ち気分を味わわせてもらってもバチは当たらないよね。

試乗は楽しかった。メカのことなど私にはチンプンカンプンだが、皆それぞれ違うもので、その違いを自分が感じ取ることができたのも嬉しかった。個人的には、新しいBMWの320iが良かった。静から動へのあのサウンド。運転したくなる車だ。営業マンも自信満々で、「いろいろな車を比較してください。そうすれば、ますますこの車の良さがわかっていただけると思います」と言っていた。もう少ししたら、あのBMWは街でたくさん見かけることになるだろう。

ところで、今私が乗っているのは、弟の紹介で中古で買ったオペルのVITAだ。この車が欲しかったわけではない。手頃な値段でまぁまぁ綺麗だったので、ま、いっかと思い買ったのだ。ちっちゃいくせにハンドルが重く、おまけに左ハンドルだ。まったく使いづらい。家族はおろか友人までも私の小さい車を見て、「マメ」と呼ぶ。中には「マメ」を間違えて「虫」と呼んだ友人もいる。それはないだろう。私の可愛い車は虫じゃないっ!

しかし、今の私にはこのマメが一番しっくりくる。二度車検を取り、何度か修理しているうちに、マメが動かなくなるまで一緒にいようと思うようになった。なんでもそうだが、身の丈に合ったものが一番である。今の私には、ボルボもアウディもBMWも似合わないだろう。

だが、“いつかはベンツのCLS”という志で毎日を送って行きたいと思う。そしたら、もしかしたらそのうち現実に買える日が来るかもしれない。そう夢を見るのも車の楽しみ方の一つである。

そして、運転している限り、事故とは常に隣り合わせだということを忘れてはいけない。マナーとルールを守るドライバーでありたいと思う。もう二度とスピード違反や駐禁で罰金を払わないように・・。

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2005年07月09日

ヤマダの精神

私は23歳の時にぎっくり腰になった。大勢でBBQをしていた時、ビールのケースを持ち上げようとしてギクっとなったのだ。私は、ビールの重さを甘く見ていた怖いもの知らずの若者だった。だが、私の腰はしばらく頑張ってくれた。ギクっとなってから暫く経ったある朝、激痛と共に目が覚めた。起き上がれない、顔洗えない、ストッキング履けない。

やっとの思いで病院へ行き、レントゲンを撮ると、先生が「あ〜、見事に4枚目と5枚目の椎間板の間がぺっちゃんこになってますねぇ」と言って、腰にすごく痛い注射を一本打って、しばらくコルセットをつけての生活が続いた。

それから数年、重いものを持ち上げる時は慎重にしていたおかげで、時々腰が痛くなるものの、大事には至らなかった。
ところが、可愛い顔した甥が家に来た時、私は彼を重いとは感じつつも、ものではなく“人間”だった為、気を抜いてしまったのだ。せがまれるまま、高い高いを何度も繰り返した。翌朝、私の腰に激痛が走ったのは言うまでもない。

また病院へ行くと、看護士に「おばあちゃんがお孫さんを抱いてギクっとなっちゃうのはよく聞くけど、おばさんがギクっとなるなんて珍しいわね〜」と言われた。すいません、腰が弱くて・・。

そんな私がゴルフを始めたのだ。当然、頑張って練習すると腰にくる。病院へ行くほどではないが、立ったり座ったりする度に“アイタタ・・。”と言わなければならない。

だが私には、素晴らしい味方がいる。
あんまり教えたくないが、それは、あのヤマダ電機だ。

私の家から車で10分ほどのところに、大好きなヤマダ電機がある。そこには、私にとってなくてはならないマッサージチェアがたくさん並んでいるのだ。しかもチェアの前には大型プラズマテレビが置いてあり、完璧な快適くつろぎ空間が演出されている。しかし、私がヤマダ電機をヒイキにする理由はそれだけではない。

私がいくら長いことブルブルしていても、ヤマダ電機の店員さんは誰も一言も何も言わないのだ。おかげで最初はどのマッサージチェアがいいのかわからず、手近なチェアに座ったりしていたのだが、すべてのチェアを制覇することができたので、チェアの違いをじっくり見極めることができた。

他の電機屋さんは意外とうるさい。時間制限を設けてあったり、監視役の店員さんがいたり。私は、店員さんがすぐ寄ってくるお店がすごく苦手で、聞きもしないのに誰かが寄ってくると、すぐにお店を出たくなってしまう。ところが、ヤマダ電機のマッサージチェアにはそういった煩わしさが一切ない。

私は、真剣に腰痛で悩んでいたので、真剣にマッサージチェアに座っていた。誰も何も言わないでいてくれたおかげで、どのチェアが一番私に合っているのかよくわかった。私はお金を貯めて、あのヤマダ電機であのマッサージチェアを必ず買うと心に決めた。

“さりげなく与え、決して急かさない、押し付けない。”ヤマダの精神に心打たれた。人間誰しもいろいろな場面で、相手に何かを押し付けようと躍起になってしまうことがある。ただ急かされて、押し付けられて、良かったと思ったことがあるだろうか?

相手に何か期待するばかりで、急かして押し付けてしまいそうになったら、ヤマダの精神を思い出そう。“さりげなく与え、決して急かさない、押し付けない”と。
そうすれば、いずれ海老で鯛が釣れるはず!?

ランキング。悪戦苦闘中
やっぱり実力者にはかないませんね。。
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2005年07月08日

お守り女VS実用女

私の為に転職を決意してくれた彼がいた。締め切りぎりぎりに見つけた大手企業の中途採用、時間はない。私にできることなど殆どないが、それでも一緒にいる時は、問題を出したり、面接に着ていくスーツ選びや、アイロンがけ、できる限りのことをした。この間二人は充実していた。同じ目標に向かって走っていた。だが、願いは叶わなかった。

しばらくして、彼の知り合いが、同じ会社を受けて合格していたことが発覚した。まったく同じ会社の同じ部署に応募していたのだ。条件的には、彼のほうが上のはず・・・。私は「そうなんだ・・。その人が年上な分、経験を買われたんだろうね」と言うと、彼は信じられないことを口にした。「試験当日の朝、彼が駅に着いたら彼女がいて、お守り渡してくれたんだって。いいな、きっとそれが効いたんだろうな」と言ったのだ。“え?ってことは落ちたのはお守りのせい?私がお守りを買わなかったせいだって言うの?”私はこみ上げる怒りをこらえようとした。なぜなら、今は彼が一番辛いはず、私のせいにすることで少しでも彼の心が楽になるなら、と思ったからだ。だが、やっぱりこらえきれるわけもなく、「人のせいにしないでよっ!お守りがあったら受かったのかっ!」と気が付いたら言っていた。

そして、私は「彼女が彼の為にした事は、お守り渡しただけなの?」と聞いてみた。すると彼は「うん。一般常識や英語の試験、論文があったことも知らなかったみたい。」と言った。さらに彼は続けて「女はやっぱりそうでなくちゃな。男はそういうの嬉しいんだよ。あ〜あ、そういう可愛い彼女っていいなぁ」と言った・・。

私は、できる限りのことをしたつもりだった。そのお守り女より確実に時間と労力をかけたはずだ。うちから5分のところに神社がある。往復で10分。お守り選んで買うのに5分かけたとしても計15分。これにあとは彼の利用する駅まで行けばいいだけだ。なのに、なんでよ・・?

さらに、お守り女の彼は、彼女にプロポーズしたそうだ。だが、お守り女はさくっと断ったという。「赴任先が地方だったら付いていけなーい。東京にいたいもん。それに、結婚なんてまだ考えてないから」という理由だったそうだ。なんでよ・・?

世の中には、このお守り女のような女と、私のような実用女がいる。
残念ながら実用女は、サプライズが苦手だ。「うわぁ、ありがとう!」と彼を喜ばせ“ぎゅう”って抱きしめられることはあまりない。
だが、よーく考えてみて欲しい。お守り女は自分が主で、実用女は自分は従なのだ。そう、お守り女は、自分のしたいことをする。だが、実用女はその名の通り、実用的な事を相手の為にするのだ。さすが実用女、いいお嫁さんになりそうだ。

だが、お守り女は時々“ぎゅう”ってされちゃうようなサプライズをちょっとするだけで、その人の心を虜にする。それに比べ、実用女は地道な努力の継続が必要だ。うぅ、苦しそう。。

しかし、ここは日本。西洋型のお守り女に負けてられない。日本の母となるべく実用女として力強く生きていこうじゃないか。

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2005年07月07日

国境を越えて

私の義理の兄はスイス人だが、彼が日本にいるとそんな感覚全然なくなってしまう。お寿司と納豆と白いご飯、それに“なめたけ”が大好きな彼。お箸は誰よりも上手に使うし、私よりよっぽど長風呂だ。

彼らが日本に来ると、必ず一ヶ月くらい滞在するので、途端に我が家はにぎやかになる。彼は日本語ができるし、くだらない冗談をよく言うし、とにかく人懐こい。姉は久しぶりの帰国とあって、滞在期間中は友人との予定がぎっしりになる。となると、彼は暇な時間を私や両親と過ごすことになる。

父とは秋葉原へ行って、デジカメだのなんだのを見に行く。
母とは、一緒にウォーキングをする。
ある日二人がウォーキングをしていたら、一匹の黒い犬が川で溺れているのを見つけたそうだ。母は「ね、大きいんだから、あの子助けてあげて!」と彼に頼むと、彼は「ズボン汚すとワタシ怒られるヨ」と姉を恐れながらもヘドロに足を入れ、ゴリラのように長くて毛がフサフサした手で、黒い犬を救い上げたという。対岸の見物人からは拍手喝采だったそうだ。だが、彼は数年経った今でも母に「オカァサン、黒い犬から、電話、あった?」と言って犬からのお礼の電話を待っているらしい・・。

私と彼は、二人で東京駅の近くの八重洲ブックセンターに行った事がある。彼は、英訳された『私は猫です』という本が欲しいと言う。私は“え?私は猫です?そんな絵本聞いたことないな。”と思い、「誰が書いた本なの?聞いたことないよ」と言うと、「日本人ミナ知ってるヨ。ユキコはなんで知らない?」と言われてしまった。しばらく二人で探していたが、あてずっぽうに探していたので見つかるわけがない。彼は私に、店員さんに聞いて欲しいと言った。私は“え〜、恥ずかしい。『私は猫です』って本ありますか?なんて聞けないよぉ”と思ってグズグズしていると、彼は自分でお店の人を捕まえて、「こんにちは。『私は猫です』の本を探してイマス。ココにありますか?」と聞いた。すると店員さんは、横にいた私を一瞥した後、「『我輩は猫である』ですね?ございます。お待ちください。」と言って本を取りに行ったのだ。私は・・・・であった。

そう最初から言ってくれれば私だって知ってたのに。確かに直訳すれば『私は猫です』だもんね。自分の頭の鈍さにガックリしながらも、私は、彼が外国人らしくないことを言い訳にした。あまりにも違和感がなくて、彼の言葉そのもの以外考えられなかったんだもん。

うちに外国人の家族ができるなんて、と最初は少し不安だったが、彼はあっという間に家族になっていた。もしかしたら、義理の兄が日本人だったらこんなに仲良くできなかったかもしれない。

私達日本の家族は、スイス人の彼もスイスも大好きである。
本当に愛に国境はない。あるのは心の壁だけだ。

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Posted by late_bloomer at 22:38Comments(7)TrackBack(0)