2005年06月09日

歪んだ愛情表現

私の最大の愛情表現はおちょくりだ。
可愛いなぁと思う人がいるとついおちょくってしまう。

私が入社した時から、ずーっと私に仕事を教えてくれた先輩がいた。
彼女は私より二つ年上で、見た目は全然キャリア系ではなく、おっとりした可愛い子ちゃん風。“そのボンボリのついたカーディガンは一体どこで売ってんだ?”みたいな格好をし、“そんなブーツ履いてる奴みたことない”というブーツを愛用していた。私は、彼女には自信があって、今更外見でどうこうしようなんて思ってないんだろうと思っていた。だが、時々「ねぇ、こんなブーツ履いてる人今時いないよね?送別会で皆に見られたら笑われちゃうかな?若い子はそういうの敏感だからねぇ。」なんて、気にしてたりする。そういう時私は、「いいんじゃないんですか?もう皆そのブーツ見たって驚きませんよ。とっても似合ってますもん。」とおちょくった。

彼女は仕事に対してはいつも真剣で厳しい人だった。
最初はうるさい女だなと思って反抗したりしていたが、彼女に教わる事がどんなに私にとって幸せなことだったのか、いなくなって時間が経てば経つほど思い知らされることとなった。

彼女は常に“会社にとって利益になるか”という視点で仕事をしていたし、その上、自分にとっても利益になるような仕事のやり方を教えてくれた。「この分野はこれから発展していく。これを自分のものにしておけば、いざという時、あなたを助ける。」そう言われて仕込まれたことが、実際私が会社を辞める時まで強い武器となった。
だが、その時私にはその意味が理解できず、“まだ誰もやってないから、誰にも相談できない。どうしてこんな難しいこと私にさせるの?”と恨んだものだ。先輩と私とはそれほどレベルに差があった。

そんな大先輩を私は度々おちょくった。
「あ、これお願い。え〜と、書類どこいったかな?」と彼女が私を呼びつけて机の上をゴソゴソしていた時、私は大きい声でカウントし始めた。「3,2,1,ブブー。時間切れ〜。」私がカウントしている間彼女は焦りまくり、机の上はぐちゃぐちゃになってしまった。私が「ブブー」と言った後、“あ〜間に合わなかった”という顔をしたので、私はゲラゲラ笑った。何も本気で焦らなくてもいいのに。。彼女ははっと我に返り、顔を赤くして「ったく。はい、これ。今すぐやって!」と怒って言った。迫力な〜い。

こういう関係を作れる相手は滅多にいない。特に相手が年上の女性だったりすると、おちょくるのは難しい。でも、こういう関係を作れる相手とは何でも話せる。実際私は、仕事に限らずいろんな話を先輩にきいてもらった。あまり年上から可愛がられることのない私が先輩には安心して甘える事ができた。

私もそういう人でありたいと思ったが、所詮私はおちょくり専門。
仕事をミスした後輩の女の子がにっこり笑って「すいませ〜ん」と言えば、「今度失敗したらチュウするぞ」といい、納期に間に合わないといって男の子が来れば「犯すぞ」と言う。これではただのセクハラおやじだ。。

あれが私の愛情表現だったと気付いてくれた人はいるのだろうか?
歪んだ愛情表現はなかなか受け入れてもらえないものだ。
でも、その場に楽しい空気が流れたのは事実。
尊敬されなくても、笑ってもらえればそれでいいや。

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2005年06月08日

己を知る

私は受身人間だ。自ら、こうしたい、ああしたいということがあまりない。なので、誘われる側になることが圧倒的に多い。

だが最近、ちょっとだけ自分から働きかけることが多くなった。
“そういえばつまらないって言ってたから、誘ってみようかな”とか“皆で飲もうよって言ってたから企画してみようかな”とか受身姿勢を残したままではあるが、自ら声をかけてみることができるようになってきた。

そこで思った。誘う側ってしんどい。。

まず誘う前に“迷惑じゃないかな”とか“この時期忙しくなかったっけ”とかいろいろなことを考える。そしてやっと日程を組んで、企画開始までこぎつける。そうすると今度はその間中、人数が多ければ多いほど“皆楽しんでるかな?大丈夫かな?”と参加者全員を気にかける。
会が終われば終わったで“本当にあれでよかったんだろうか?”と自問自答するのだ。皆こんな大変な思いをして誘ってくれてたのか。。

この手の話を友人にグチグチと話したことがある。話を聞いた友人は「もっと自分が楽しまなくちゃ。俺は、“何か楽しいことしたいな”から企画が始まるよ。自分が楽しまなくちゃ。人が良すぎるんだよ。認めないだろうけど。」と言った。

“自分が楽しむ”という発想がこれまで私にはなかったことと、“人が良すぎる”ということ、この二つにびっくりした。

能動人間の友人達は、そのことそのものがしたいわけで、その人は楽しい時間を過ごしたくて誘ってくれるわけだ。それってすごく当たり前だし、自然のことだ。そして誘われた側は自分で楽しめばよい。それでいいんじゃないか。

そして、やっぱり私は人が良いわけではないと思う。小心者で“人に良く思われたい”だけの人間だ。私にとっては、そのものを楽しむより、周りの人間の評価を優先していただけのことだ。それは疲れる。人の心はいくら推測してたところでホントのところはわからない。楽しめる人は自分で勝手に楽しむし、楽しくなければ次から誘いにのらない。誘われた側も能動態でいいわけだ。

結局私自身、誘われれば、あくまでも受身を貫き、おもしろくなければ誘った人のせいにする。だから誘った側に立った時、余計な心配を重ねていたのだろう。

最悪だ。。
なんでも人から与えてもらおうと思っていた上、誰かに何かを与えようと思っていたなんて、勘違いもいいとこだ。
大人になったつもりが、ただ腹黒かっただけだったなんて。
がっくり。。

とにかく楽しいことが一番。
自分が楽しければ、それでいいのだ。

よく“少年のような人”といって目をキラキラさせる女性が多いが、そういう男性って好きなことを無邪気に楽しめる人なんだろうと思う。私も“少女のような人”目指していっちょ巻き返しにかかるか。

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2005年06月07日

ナイスチョット!

久しぶりにゴルフの打ちっぱなしに行ってきた。
私が初めてクラブを握ったのはハタチの時。チャンスに恵まれたのでやってみたが、全然おもしろくなかった。

もちろん練習は真面目にやった。練習場へ行くと、マメだらけになった手でクラブを振り回し400球は軽く打った。私はデカイから力はある。が、コチコチの体はねじりに弱く、飛距離はひ弱な可愛い女の子より全然出ない。なんだよ。。

コースに出ても周りは大人ばかりで気を遣いっぱなしだった。私が叩き込まれたの は、「打ったら走れ!」だ。楽しむ余裕なんて全然ない。朝早く起きるのも辛いし、“なんでこんな雨降ってるのにやんなくちゃいけないんだ”“若いうちは走り回る スポーツの方がいい”“じい様がやってりゃいいんだ”などと考え、すっかり興味を 失ってしまった。うまく出来ないと言い訳してやめる。 向上心のないハタチの小娘だ。。

あれから十数年。
母に誘われるままなんとなく練習場へ行くことになった。
練習場も時代とともに変化をしていた。以前は○○球でいくら+打席料だったと思うが、今は時間制が多いそうだ。球は勝手にどんどん出てくる。時間との勝負だ。周りを見渡すと、やはりおじ様とじい様の間くらいの人がたくさんいる。平日の昼間でも打席はびっしりうまっていた。これだけの人がやるゴルフ、やっぱりおもしろいのか??

私は短いクラブが嫌いでドライバーでガンガン打つのが好き。ちまちまやってられないタチだ。軽く素振りをした後、いきなりドライバーで打ってみた。意外や意外ナ〜イスショット!超気持ちい〜。
久しぶりにも関わらず、意外と体は覚えてるものだ。
おまけに昨今の女子プロブームで、ゴルフをテレビで見る機会が増えたせいか、私の頭の中には若いプロの、のびのびしたスィングがインプットされていた。イメージトレーニングが知らない間にできていたのか?

ハタチの私は、母が一生懸命教えてくれても「言ってることはわかってるけど、体がついていかないのっ!!」と聞く耳持たずで我を通していたが、今の私は違う。素直に母の助言を聞きくことができる。あの頃理解できなかったことが今は簡単に理解できる。驚くほど楽に打つことができたのだ。今のほうが運動神経鈍ってるはずなのに。。

あの頃も今も自主的にゴルフをやったわけではない。
でも、肩の力を抜いて、素直な気持ちで人の助言を受け入れる。これをしただけで、同じスポーツに対してのイメージが全く違うものになった。
今はマメが痛くて仕方ないが、すぐにでもまた練習場へ行きたい気分だ。

素直になるって難しいけどとっても大切。
どんなに年を取っても素直でいればいくらでもいろいろな事が吸収できる。
そう人生の先輩方が背中で教えてくれていた。

でも、マメからは変なおつゆは出てるし、体中筋肉痛だし、もうすぐ暑くなるし、ホントに続くことやら自信がない。なんてったって素直さと向上心は別問題ですから。。

秋になってさわやかな風が吹く頃、もう一度コースデビューを果たしたい。

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2005年06月06日

末っ子長男◎?

私は、できれば兄弟に女がいる人、特にお姉さんがいる男の人と結婚したいと思う。女の気持ちを一番“理解してる風”な男が多いからだ。

なぜかというと、幼いころから母親以外にお姉さんという存在がいると、お姉さんとその友達と接する時間を持つ事が多い。そういう時間を持つことで、お姉さんの良い部分だけでなく、女の意地悪な部分や、外では決して見せない顔を見て育つので、女に対して過大評価しない、あまり期待を持たない男に育っていく。“女なんてこんなもの”という気持ちを幼い頃からどこかに持ち、女をどう扱えばいいのかを自然と身に付けていくわけだ。かゆい所に手が届く男は大抵お姉さんがいるものだ。

ところが、男兄弟で育った場合、近しい女は母親だけとなる。
母親は“与えてくれる存在”であって、その子供にとっては何かしてくれる人で、そういう女だけを見て育つと、女に対して幻想を抱く。女は何かしてくれるもの“してもらって当然”となってしまうのだ。
母親だからしてくれるのであって、“あんたを産んだ覚えがない私はそこまでできません”ということになる。
そういうタイプは当然女の要求にもなれていないので、なんで女がそれを要求しているかがわからない。それでイライラしている女を見て「なんでこいつこんなに怒ってるんだ?」となってしまうのだ。平行線。。

特に一番厄介なのは、男兄弟ばかりの長男だろう。
生まれた時からちやほやされ、母親の愛情をこれでもかと言わんばかりに注がれて育つ。だからあまり聞く耳を持たない。叩かれて育っていない分“俺が一番”だと勘違いしやすい。世界は広いということに気付きにくくなってしまう。

これがまた、男ばかりのスポーツに打ち込んだりすれば途中で方向転換する可能性がある。自分より強い男、かなわない男を見ることで“あれ?俺って一番じゃなかったのか”と気付かせてもらえるからだ。
ところがそういう世界にも縁がなく、勉強だけが得意でいい学校いい会社などへ行ってしまうと、お金は稼ぐが女の気持ちがわからない困った旦那様が誕生することになる。

うちの弟は姉が二人いる末っ子長男。
強烈な姉さんが二人もいるのだから、当然心優しい男だ。
奥さんはそういう意味では幸せだと思う。
例えば、「生グレープフルーツハイ」をオーダーした場合、グレープフルーツを絞るのは当たり前で、彼はその上種をも一つずつおはしでよけてから、グラスに入れる。奥さんはお姫様扱いで満足げな顔だ。女はこういう些細なことで充分幸せな気持ちになれるものだ。
おまけに長男であるがゆえ、独立後は「俺は長男なんだ。しかりしなければ」という今まで眠っていた意識が目覚める。
しかし女の面倒くささを充分植えつけられているので、変に威張ったりはしない。大人しくしてればいい時をきちんとわきまえているのだ。

ただ、女の気持ちがわかる男には女が群がる。したがって女問題で頭を悩ます可能性は大だ。逆に女の気持ちがわからない男は、真面目でしっかり稼いできてくれる。

う〜ん悩ましい。だが悩んでいても仕方ない。一発勝負に出るだけだ。
勇気があった頃、一発勝負しとけばよかったかなぁ。。

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2005年06月05日

大都会東京

私は物心付いた時から今までずーっと同じ場所に住んでいる。
ココは今も本物の自然がたくさん残っていてのんびりした町だが、都内へは通勤圏内で、都内へ通勤・通学している人がたくさんいる。
私も中学生の頃は原宿、高校生になってからは渋谷、大学時代は六本木で、通勤している頃は銀座でよく遊んだものだ。

しかし、今となっては何が良くて原宿や六本木に行ったのかよく思い出せない。青春の良き思い出ではあるが、私にとっては一種の通過点に過ぎなかったように思う。

なんてったって今は東京が嫌いだ。

地元での私は自慢のテクで車を操る。前にトロトロ走っている車がいれば「おらおら、じじぃ、生きてんのか?」と暴言を吐きながらあおり、サクっと追い越す。縦列駐車なんて得意中の得意だ。
そんな私でも首都高を走ると「生きてんのか?おい?」と言われる立場に成り下がる。下手っぴ用の車線はなく、気を張り詰めて運転してないと分岐点を間違え、「おうちに帰りたい・・。」と泣きべそをかく羽目になる。なんて冷たい街なんだ。。

それになんといっても空気が違う。排ガスにまみれ、高層ビルの間からわずかに見える空は灰色で、鼻の穴が真っ黒になりそうだ。
圧迫感を与える高層ビル群。たくさんの人とたくさんの車。場所代分だけ高いコーヒー。それでも人が集まる東京ってなんなんだろう?

いろいろな夢を持って東京を目指す人は多いだろう。
夢かなわず東京を後にする人、必死になってたとえ片隅でも東京にこだわる人。青春時代の通過点としてだけではなく東京にこだわる人は多い。“東京”というブランドがそうさせるのか?

最近めっきりブランドに興味がなくなった私には東京は辛いことの方が多い。
のんびりできるココが合ってる。

ホントは私に、東京で過ごす為に必要なパワーがもうなくなってしまったのかもしれない。。

なんて、久しぶりに六本木ヒルズや東京タワー、夜のネオンを目にしてふっと思ったものの、誰も東京で過ごせって言ってないや。。

安心して、鼻の穴広げて息しようっと。。

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2005年06月04日

挨拶の裏

今でこそ、病院の待合室などで、全然知らないおばあさんとでも、どの先生がいいだとか世間話をソツなくこなせるようになったものの、本当につい最近まで、小さい声で挨拶するのが精一杯で世間話をする余裕など私には全然なかった。

だが、最近の子供はすごい。犬を散歩してれば「何で犬飼ってんの?」と聞いてくるし、外出してトイレに行けば「男用はどっち?」と聞いてくる。一瞬「舐めてるのか?」と思うが、そういう子供は大人慣れしているのだろう。

まぁ、そんな私も大人になったからか、知り合いに会えばこちらから「こんにちは」と自然に挨拶し、その場に合った世間話ができるようになった。でも周りを見渡してみると結構挨拶すらできない人がたくさんいる。一流企業のいい年したおじさんでもきちんと挨拶ができなかったりするのだ。朝、「おはようございます」を言わない。部署を異動することになっても「お世話になりました」の挨拶もしない。人として何かが欠けているように思えた。。

ところで、私は彼氏ができるとすぐ家に連れて来る。コソコソするのも面倒だし、オープンな家庭なので、深い意味がなくても家族に紹介する。
比較するのもどうかと思うが、彼氏にもいろいろいて、「お邪魔します」と言うのが精一杯だった彼もいれば、最初から母と適当に世間話を笑いながらする余裕のある彼もいた。当然親的には、なつきがいい彼を「感じいいわねぇ」と褒めることになる。

だが、私は思う。
最初からペラペラ話ができるのは、それはただそういう場面に慣れているかどうかで、無愛想な彼が決して人が悪いわけではない、と。もちろん挨拶ができないのは論外だが、そつなく感じよく挨拶ができるからといって、それがイコールイイ男とは限らない。時間をかけて良さが滲み出てくる男もいるものだ。

事件が起きると「挨拶もきちんとするし、そんなことするような人には見えなかったわぁ」などとコメントするおばさんをよく見るではないか?
挨拶というのは短時間でできるもので、いくらでも繕うことができる。
その裏の顔を見極める方がよっぽど大事ではないか。

普段「感じ悪〜い」なんて思ってる人が実はナイスガイだったりするかもしれない。だけど、やっぱり爽やかな挨拶って魅力的。

こうして女は騙される。。。

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2005年06月03日

記憶

私は記憶力が絶望的に悪い。つい最近の出来事でも思い出せないことがよくある。映画を観たのは覚えてるけど、誰と行ったっけ?とか、コーヒーを入れて飲もうとする瞬間、砂糖を入れたっけ?とか、お風呂に入れば、あれ?体洗ったっけ?などということが頻繁に起こる。記憶力が悪いのか、物忘れがひどくなってきたのか、ちょっと悩ましい部分もあるが、とりあえず記憶力が悪いということにしておこう。

そんな私の小さい頃の記憶は本当に少ない。
まず、幼稚園へ通っている頃の一番の強烈な記憶は、幼稚園に出かける時間になっても母がどこかへ行ったまま戻って来なかった時の事だ。私は不安で不安で一人でぎゃーぎゃー門の所で泣いていた。すると心配した隣のおばさんが「幼稚園に連れて行ってあげようか?」と優しく言ってくれた。が、私は“私がいなかったらきっと母が心配する”と母を気遣い、母が帰ってくるのをひたすら待った。やがて母が戻ってきて、泣きじゃくる私にたった一言「ひとりで幼稚園行っててくれればよかったのに。」と言ったのだ。びっくりした。
とりあえず謝れ。

幼い頃のクリスマスの思い出は、たった一つしかない。
クリスマスプレゼントと言えば、普通は靴下の中に何か入ってるものだろうが、その年の私のクリスマスプレゼントは“靴下”そのものだった。夢のない親だ。でも、とっても可愛い柄の靴下で私はすごく嬉しかった。その靴下はまだ売ってる状態そのままで、紙でとめてあったので、私は早速ハサミを持ってそれを切った。ところがなんと靴下そのものもバチンっと切ってしまったのだ。一度もはいていない靴下に大きな穴が開いてしまった。。私はすごく悲しくなった。せっかく買ってもらった靴下なのに、もう穴を開けちゃったなんて。。私は泣きながら靴下を母のところに持って行った。母は「バカだねぇ」と言いながら穴をふさいでくれた。その靴下には、本当の穴が開くまでとことんお世話になり、そしてお別れした。

それからもう一つ。
つい最近まで私はお餅が食べられなかった。すごく小さい時、テレビで餅を喉につまらせて死んじゃったお年寄りのニュースを見て、お餅を食べると死ぬかも、と思い怖くて食べられなくなったのだ。だから私は、お雑煮のお餅を絶対食べなかった。一番危険そうに見えたからだ。そんな私に母は「おめでたいのにお餅が食べられない子は出て行きなさい!」と行って私を玄関から放り出した。私は裸足でぷるぷる震えながら泣いていた。姉が玄関を開けてくれたのを覚えている。
しかし、餅くらい食べなくたって正月は越せるだろう。一体何だったんだ?

こうして書き出してみると思い出すのは悲しかったことばかりだ。
どうしてだろう?殆どが母がらみなので、母が悪かったとも言えなくもないが、楽しかった事もたくさんあるはずだ。だとすると自分で悲しみを選んで記憶しているということになる。

私が根暗なせいだろうか?だから記憶も暗いものが多いのか?
根暗が先か暗い記憶が根暗人間を作り出すのか?ぐるぐるぐるぐる。。
考えれば考えるほど暗くなりそうだ。

一度きりの人生、私だってやっぱり明るく楽しく暮らしたい。
でも、根暗を改造して明るくなるには、相当時間がかかるだろう。
ならば、無理せず“記憶を失くす”ことに磨きをかけたらどうだろう?
思い切って皆忘れてしまえ!欠点を直すより長所(?)を生かせ!だ。
過去を振り返るな、今この一瞬を大事に生きろ!だ。

なーんて言う人いるけど、実際はそう簡単には行きませんよね。。

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2005年06月02日

約束

「男女の友情は成立するか?」という議論をよく耳にするが、私は肯定派だ。なぜなら私には、少数だが10数年来の男友達がいる。

最初は同級生男女合わせて10人くらいのグループだった。冬には車3台連ねてよくスキーに行ったものだ。宿泊先は会社の保養所等で、大部屋で雑魚寝をする。話は大抵くだらないことばかりで、私達は良く笑った。

それぞれ環境が変わり、皆で集まることが難しくなると、自然に気の合う者同士が個別に会うようになっていった。といっても彼らは結婚して子供もいて家庭を支える一家の大黒柱だったりするので、連絡をとるのはごくたまにで、会うのも年に一回くらいだ。それでも、まったく違和感はない。「最近調子どう?」「実はさ」で始まる。

そんな彼らにまだ若い頃、私はよく失恋話をして慰めてもらった。中には私を心配して、私にとっていいだろうと実直な公務員の男性を紹介してくれた友もいた。そんな私でもたまには彼らの相談に乗ったりもする。家庭の話や仕事の話。お互いそういう時は、男としての意見、女としての意見を言うので、女同士、男同士とはまったく異なった会話ができる。異性だと意識するのはその時くらいだ。

その中で唯一今でも独身の友人がいる。
その彼と、確かまだ24歳位の頃、私が彼氏とうまくいってないとかそんな話をした時だったと思う。25歳を直前にして私は焦っていたのだ。彼は「35歳になってもまだお互い独身だったら結婚してやるよ」と言って慰めてくれた。もちろん冗談だとわかっていたが、なんだかすーっと心が楽になったのを覚えている。それにその当時はまさか自分が35を過ぎて独身なんてありえないと思っていたし、そんな年になっちゃったら、もう誰と結婚してもいいと思ってるだろう。この男でもいっか。なーんて思ったものだ。

月日はあっという間に過ぎ、私は35歳の誕生日を独身のまま迎えてしまうこととなった。あの約束をふっと思い出したが、あれ以来、私達は一度もその話をしたことがない。まだまだ若い頃の遠い昔の話で“あの男は調子いいからそんな約束覚えちゃいないだろう”と私は思っていた。

それから数ヵ月後、約束した彼と会う機会があった。
彼が「お前さ、あの約束覚えてる?」と言うではないか。私は覚えていてくれたことが嬉しくて「えへへ、覚えてるよ」と照れながら笑った。「俺さ、お前の誕生日当日にちゃんと電話したんだぜ」という。“えっ、まさか・・・。”「ほんとに?」と聞く私に彼は続けて言った。「お前が覚えてて本気にしてたら悪いだろ、だから、あの約束はなかったことにして欲しいって言おうと思って電話したんだよ。」「・・・・。」
変なところで律儀な男だ。「あぁ、そう。それはわざわざすいませんね」と憎まれ口をたたいたが、とても温かい気持ちになった。約束はおろか、きちんと誕生日を覚えてくれていたなんて。良き友よ。。

また、最後にグループ皆で集まった20代最後の頃、「40歳を過ぎたら皆で温泉に行って、混浴に入りながら日本酒でも飲もうぜ」という約束をしたことがある。もう40にもなればお互いの裸を見ても大丈夫だと若い私達は思ったのだ。しかし40を目前にして思う。まだまだ私には恥じらいがある。そう簡単に裸体をさらせそうにない。それと同時に、彼らの大切なモノをじっくり観察してしまいそうな自分もコワイ。
でも、見知らぬ引き締まった肉体美を持った若い男の子がいっぱいいるところなら、特別料金を払ってでもすぐに入らせていただきたい。。

同級生との混浴は幾つになったら入れるのだろう。80歳位かな?
幾つになってもやっぱり恥ずかしいと思うのだろうか?それとももうどうでもよくなるのだろうか?どちらに転んでも楽しそうだ。

でも、ちゃんと約束を覚えていられるか、それがとっても不安。。

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2005年06月01日

克服

誰でも人は、一つくらいはコンプレックスを持っているものだ。
そんなもの気にしなければ楽なのだろうが、気にさせる奴らがいるから始末が悪い。私には嫌になるくらいコンプレックスがある。

まず私が最初にガツンとやられたのは、高校一年生の時だ。
体育の時間にバトミントンをした。体育会系の私は、そりゃもうありったけの力でバトミントンをしまくった。試合が終わり脱力感からぼーっと立っていると、背後から誰かが近づき、重ねたバトミントンのラケット4〜5本を私の足の間に突っ込んだのだ。そう、私はひどいO脚で、力を抜くと両足の間がかなり開いてしまう。その開いた間にバトミントンのラケットを入れた女がいたのだ。しかも「うわ〜、すっごいこんなに入るとは思わなかったぁ」と大声で叫びながら。。
なんて女だ。私は一瞬凍りつき、どうリアクションしていいかわからなくなってしまった。一緒に笑う子もいれば、私と同じようにどうリアクションしていいかわからない子もいた。そんな中、「あんたバカじゃないの!?」とその女をたしなめてくれた友がいた。その声で私は我に返り、「疲れてるんだから勘弁してよ」とクールに装ったが、心の中は涙と悔しさでグシュグシュだった。

その女は別の体育の時間にもまた私に悲劇をもたらした。
私の腕を見て「わー、サルみたい!」とのたまったのだ。そうだ、私は毛深い。ちょっと言い訳すると、剛毛ではなく細くて茶色い毛が普通の人の3倍くらいの長さでフサフサしている。
その時の私にはもう免疫があったので、その女にすぐ「うちの両親ゴリラだから。」と言って相手にせずに済んだ。もうそんな無神経な女に腹を立てても仕方がない。あっち行ってくれ。

しかし、なんでこういう女が世の中いるんだろう?こういうことを言ったら人は傷つくという簡単な事がわからない。思ってても心にしまっておくことがなぜできないのか?こういうのがいるからチャームポイントになりうる何かをコンプレックスに変えてしまう人が多くなってしまうのだ。

彼女は自分の歯が黒いのを気にしていたが、もちろん私はそんなことは一言も口にしなかった。反撃したら同じレベルに成り下がるだけだ。そんなの勘弁勘弁。
でも、チクっと言って痛みを分けてあげればよかったかな?

その後、私は奮起し、自分で自分に投資した。結果、得られたのは自己満足である。自分が自分を認められれば、他の人がなんと言おうと胸を張っていられる。自信が自分を支えてくれるのだ。まさに自信は美徳。

まだまだ私にはコンプレックスがあるが、この辺でおしまいにしておこう。
なぜなら最近そんなことはもうどうでもよくなってきたからだ。
年齢を重ねるうちに、自分の好きな人や好きな物に囲まれた生活が徐々にできるようになる。今、私の周りには、コンプレックスをお互い笑い飛ばせるような人間しかいない。

若いっていいけど、結構残酷な日々だったりするのよね。。

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