2005年06月19日

消せないメール

電話の苦手な私にとって、メールは友人達と繋がりを持てる最強のツールだ。長話をしたい時や、長い間会ってない友人に送る時は、パソコンから。小話や連絡事項、緊急事項は携帯から。と自分なりに使い分けている。いずれにせよ、相手がどんな状況かわからなくとも、メールであれば暇な時に見れるわけで、返信も手が空いた時にくれるはず。だから気兼ねなく安心して送ることができるのだ。

そんな私の携帯に、時々どうしたものかと首をひねってしまうメールが飛び込んでくることがある。迷惑メールなら削除してしまえば済むのだが、知人からの場合はそうもいかない。こんな私でも一応返信しようと努力するからだ。

彼女は古い友人だが、もう随分連絡を取り合うこともなく、たまに共通の友人から近況を聞くくらいで、直接連絡を取るほどの仲ではなくなってしまった。
そんな彼女から、ある日突然時々メールが送られてくるようになったのだが、どう返信していいのかわからず困っているのだ。

久しぶりに来たメールは、ネット上で流れているリアルな惨殺シーンについてだった。「すごいの!ネットで見れるから見てみて!」とURLとともに送ってきた。私にそういう趣味はない。たとえ知らない人であっても、人が殺されるシーンを見るという神経は持ち合わせていないし、ましてやそれを興味本位に友人に見るようすすめることなんて考えつきもしない。むしろ、そんな映像は削除するよう管理者に訴えたいくらいだ。「そんなことやめなよ」と、充分すぎるほど大人になった相手に言う必要はなく、そのメールには意志を持って返信しなかった。

その次に来たメールには、「デザイナーに設計をお願いして、総工費1億円かけて家を新築することになりました!」とだけ書かれていた。そのメールを見た率直な感想は、“すごいじゃん、で?”である。本音で語れる友人であればそう返信するが、彼女はそういう相手ではない。その上、かなりのおしゃべりだったので、どんな話を共通の知人にぶちまけられるかわからない怖さを持つ人だ。わざわざ敵を作る必要もない。小心者の私は「うわぁ、すごいね!」と社交辞令の一つも送ろうと思ったが、どーしてもできず、結局そのメールにも返信しなかった。彼女と私との間に埋められない溝があることを感じた。

返信しないにも関わらず、その後もメールは続いた。
「せっかく新築の家ができてこれからだっていうのに、旦那が海外勤務になりました。駐在先ではお手伝いさんも雇えるし、いい暮らしができるみたいなんだけど、私は日本に住みたいの。この家にいられるのもあと数ヶ月・・。」と報告が来た。“う〜ん、あの時返信しなかったんだけど、そんなことどうでもいいのかな?”と思いつつ「そう、それは残念ね。。でも、駐在なら数年で戻ってこれるでしょ?」と返信しようか悩んだが、やっぱり返信しなかった。

例えどんなに会わなくなった古い友人でも、嬉しいメールのやりとりが出来る相手はたくさんいる。たとえ返信に時間がかかってしまったとしても、必ず返信するものだ。

彼女のメールはいつも一方的で、個人的な話ではあるけれど、聞き手は誰でもいいように思えてしまう。読んでいると虚しくなってしまうのだ。だから、彼女からのメールにはもう返信しないと決めた。たかがメール、そんなに悩んでどうすんの。

そうするうちに彼女からのメールは来なくなった。
ところが段々彼女のことが気になり始めた。“あれ、最近メール来てないな。いつ海外へ出発するんだろう?”なんだよ、こっちから送ってしまいそうだ。

返信しないと、彼女には私のこの心の葛藤は伝わらないだろう。やっぱり一言でも返信した方がいいのだろうか?たかがメール、されどメールだ。おかげで時間が経った今でも彼女からのメールは大切に保存されている。

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2005年06月18日

こんな女に誰がした!?

私はひどく不器用で、“手作り”というものを殆どしたことがない。そりゃ、頑張ったこともある。でも、どんなに頑張ってもヘタクソはヘタクソなのだ。

小学校の授業では、花瓶敷きを作った。皆はお魚さんの形だったり、お花の形だったりとカラフルな花瓶敷きを作っていたが、私は、“主役は花瓶”と心得ていたので、正方形の生地の真ん中をまぁるく切り抜き、残った外側をいろいろな糸で不規則な模様を縫いつけて完成させた。なかなかの芸術品だ。だが、誰にも認められることはなく、隅っこの、人の目に触れないところに展示されていた。それを見たとき自分でも「あれ、なんであんなとこに雑巾が?」と思った程だ。

中学校ではパジャマを作った。“そんな難しいもの出来るか”
だが、出来る子はいるもので、嘘みたいに上手に可愛いパジャマを作ってくる。私はいつまで経っても前に進まない。考えあぐねた末、不本意ではあったが、私はその子と闇取引をして、私のパジャマを代わりに作ってもらうことにした。

調理実習では、気が付くといつも皿洗いをしていた。ああいうものは、上手な子が仕切るもので、私ごときが手を出す場面などない。役に立つにはひたすら皿を洗うしかなかった。そんなことしてる間に、作り方を覚えるまでもなく調理実習は終わってしまう。自慢じゃないが皿洗いは得意だ。

そして、私は中学生で悟ったのだ。
これは努力の問題ではなく、才能の問題だと。

そんな私には、今でも料理の才能は殆どない。
例えば、肉じゃがやお魚の煮付け、スパニッシュオムレツや甘エビの味噌汁なんて一応作れたりする。だが、それでいっぱいいっぱいだ。発想が貧困で、レパートリーが全く増えない。
そこで本を買ってみた。本の通りに作ってみれば、さすがに新しい料理が作れる。が、記憶力が悪い為、毎回本を見ないと作れない。すると面倒くさいのでまた肉じゃがに戻ってしまう。その繰り返しで殆ど進歩しないからやる気も失せる。

と、いろいろ言い訳してみたが、結局私は料理が面倒くさいのだ。
人間誰でも好きなことをする時は、面倒くさいなんて思わない。だが、苦手なことをする時は、面倒で億劫で辛い。私にとってそれが料理だったなんて、女としてこれ以上の不幸があるだろうか?

世の中には“料理が大好き”という女が大勢いる。
彼女達は、料理に関することは何をしていても楽しいだろう。食材の買出し、調理器具の新調、食器選び・・・。
料理上手はどんな時も脚光をあびる人気者だ。ほんと羨ましい。いいなぁ。

もし、神様が私に「願いを一つだけ叶えてあげよう」と言ってくれたら、迷わず「料理好きな男性と結婚させてください!」と言うだろう。その代わり、私はその人の一番苦手なことが上手にできる女でありたいと思う。

でも、私が上手にできることってなんだろう?
犬の気持ちがわかること?

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2005年06月17日

年上の男

私はこれまで年下男専門できた。なぜなら年上には点数が辛くなってしまい、そんな高得点の年上に今まで出会ってこなかったからだ。だが、そんな私の心を揺さぶる年上男に出会ってしまった・・。

ゴルフの練習場と言うのは、年上男がたくさんいる。
と言っても大抵はへっぴり腰で“なんであんなフォームで飛ぶんだ?”なんておじさんばかりで、その上気取っていたりする。全然近寄りたくない。

ところが、母と二人で練習場へ行った時、隣のまたその隣の打席にかなりうまいおじさんを見つけてしまった。ロマンスグレーの髪に白いポロシャツ。襟が立ってる。彼のフォームは綺麗でとても若々しい。そこらのへっぽこおじさんみたいにむやみやたらと打ち込んでいない。少し打っては考え、片手で打ったり、腰をひねってみたり、真剣に練習をしていた。時々くわえタバコで打ったりする。渋い、“私のジョニー”

自分が何かを始めた時、それを上手にできる素敵な男がいたら誰でも憧れてしまうだろう。ジョニーはその条件を完璧に満たしていた。

母も彼に気付き、「あのおじさんとっても上手だから見たほうがいいよ」と言った。母はゴルフきちがいで、まぁ、上手な人だ。母のフォームもなかなか綺麗。そんな母が言うのだから、やはりジョニーは上手いのだろう。

私が平日の昼間に練習場に行くとジョニーは必ずいる。あの雰囲気はただものではない。一体何者なのか?

数日後、また練習場へ行くと、ジョニーは隣の打席にいた。
私がチラ見していたら、なんと、彼の方から私に話しかけてきたのだ!私のフォームについてのアドバイスだ。私はドキドキしながら彼の言うことに耳を傾け、彼の腕の中にいた。タバコの香りがする。あぁ、たまらない。

しかしジョニーはちょっと訛っていた。
そして早口な上、いろんな例を出すので私の頭の中は混乱してしまった。「野球のピッチャーのように」「バスケットボールを投げるように」、「バケツの水をこぼさないように」・・・。“あぁ、もうわかんないよぅ”でも、彼は私ごときが言葉を発する隙を与えない。なんという圧倒感。彼のポロシャツからこぼれ出るロマンスグレーの胸毛も私好みだ。

その日は母が別だったので、早速家に帰ってジョニーの話をしてみた。すると母は「練習場にはね、そういう教え魔がいっぱいいるのよ。よし、どんな立派なこと言ってんのか、聞きに言ってやる」ということで、今度はまた母を連れて練習場へ行くことになった。

すると、その日ジョニーは若い男の子に教えているではないか。やはりただの教え魔だったのか・・。

私は彼に「こんにちは!」と挨拶すると、彼は照れ笑いを浮かべ「早く練習しなさい」と言った。“xxxしなさい”なんて言われるの久しぶり。快感。。

しばらくすると彼は私達のところへ来た。ちゃんと来てくれたのだ。
母はすかさず彼の元へ行き、挨拶をした。「娘がお世話になってxxx」と、どうやら母も興味津々らしく、ペラペラと長話を始めた。その日ジョニーは母につきっきりで教えていた。彼の腕の中にいる母。ちょっと気持ち悪い。。

だが、さすがだ。母のおかげで、ジョニーの素性が明らかになったのだ。彼は57歳独身。マンション住まい。競馬の予想の本と、ゴルフの本を書いているフリーライターだという。そして、最初に教えていた若い男の子はジョニーから近づいたのではなく、若い男の子のほうから「教えてください」とお願いしてきたらしい。ジョニーは教え魔なんかじゃなかったのだ。しかし、母はジョニーの名前を聞くのを忘れた。やれやれ。

ジョニーは引き際も鮮やかで、照れくさそうに手を振って去ってしまった。

その後、私は母に「ああいうタイプ結構好き」と言ってみた。すると「へぇ〜、あんなのがいいの?ふぅ〜ん」とまるで自分はあんなタイプには興味がないと言った口ぶりで、珍しそうに私を見た。

ところが、よくよく話を聞いてみると「この後一緒に食事どうですか?」って喉元まで出かかったとか、「今度一緒に回りませんか?」と言おうと思ってたなんて言うじゃないか。その上「あの人、リチャード・ギアに似てない?」だって。

実は母の方がやる気満々だったのだ。ばばぁって恐ろしい。。母から見たらジョニーは6つ下。連れて歩くにはちょうどいいボーイフレンドになる。

いい女はガツガツしないものだ。残念だがジョニーのことは、老い先短い母に譲ろう。ジョニーが例え私を選んだとしても・・。

あ、そうだ。お父さん、ごめんね。

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2005年06月16日

愛の形

私は放任主義で育ったので、これまで親に門限というものを設定されたことがない。まだ10代の頃、友人達にはそれぞれ門限があり、それをクリアする為アリバイ作りに勤しんでいたが、私はいつも行き先を正直に親に伝えて出て行った。

殆どの友人が“友達の家に泊まる”という嘘をついて夜の街に繰り出していたので、疲れても中途半端な時間に家には帰れない。だが、私は何時でも家に帰ることができたので、疲れた体を引きずってウロウロする必要はなく、「んじゃ、先帰るね」と言って、家でぐっすり眠ったものだ。

教育方針とかそんなものではなく、ただ親は私に手が回らなかっただけだと思うが、私にとってはそれが心地よかったし、ことさら悪いことをしたいとも思わなかったので、幸いまともな大人になることができたようだ。

そんな私がハタチを少し越えた頃、お付き合いをしていた彼に、はじめて門限を設定された。門限は12時。その日のうちに帰って来いということだ。当時はまだ世の中に携帯電話など出回ってなく、電話に出なければ家にいないことはすぐバレてしまう。彼は毎日電話をくれた。私が「友達と今日は外食する」と言うと、「ちゃんと帰って来るんだぞ」と言って門限の12時に電話をくれた。

私はそれを一度も束縛と感じたことはなかった。むしろ嬉しいくらいだった。“あ〜、私を心配してくれる人が世の中にいるんだわ”という気持ちでいっぱいだったのだ。彼と付き合うようになってからは、殆ど彼との時間を優先していたので、友人と夜遊びするようなことはなかったが、たまにわざと門限を破ったりしたもんだ。そう、彼を心配させる為に。。

そして門限を破った私に彼は説教をする。「どうして守れなかった。ちゃんと約束しただろ」と。私は「うん。ごめんなさい。もう絶対ちゃんと帰ってくるから」としおらしいことを言いながら、心の中は喜びでいっぱいだった。“これこそ愛だ”と。

なーんて青春時代も終わりを告げ、私は熟れ熟れの大人になった。
今ももちろん親の設定する門限はない。そして今は彼からの門限も欲しくない。

例えば私が結婚して、妻になり旦那さんと一緒に暮らすようにったとする。そして私は時々友人達と会って羽目をはずす。そんな時、旦那は私の帰りを心配し、ウロウロしながら家で待っている。でも、わざわざ「遅いぞ。何時に帰ってくるんだ?」なんて携帯に電話してこない。そして私が午前2時ごろ“あ〜、楽しかった”という余韻に浸りながら家に帰って来たとする。すると旦那は怒りたいのをグっとこらえ「お帰り。」と言い「心配したんだぞ」と一言だけ言って先に寝てしまう。

あ〜、なんて素敵なシチュエーションなんだ。知らん振りは寂しい。が、うるさいのも困る。これこそ“本物の愛”ではなかろうか。

しかし、逆を考えてみる。旦那の方が帰りが遅く、私が待たされる。そしたら私はどうするか?ぎゃーぎゃー文句を言うか、知らん振りしてさっさと寝るかどちらかだろう。しかし、そこにもちゃんと“愛”はあるのだ。

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2005年06月15日

束の間の夢

パリッとしたスーツに、知的な眼鏡が良く似合う男と知り合った。仕事の話をしている時の彼は生き生きとしていてとても素敵だった。上場企業のエリートサラリーマンで年は3つ上。結婚相手にもってこいだ。運良く二人で話す機会に恵まれ、休日に食事をする約束を取り付けた。“よし!私もやっと年貢の納め時が来た。チマチマ働く生活ともこれでおさらばさ。華麗な専業主婦生活に突入だ”心躍らせ気合を入れて約束の場所へ向かった。

約束よりほんのちょっと先についたので、私は最高の笑顔で彼を迎える準備をした。するとなんだか冴えないおっさんが私に近づいてきた。でも、今嫌な顔をするのはちょっとまずい。彼にどこで見られているかわからない。気を抜くな。そう思い、早くどっか行ってくれと願いながら笑みを絶やさずにいた。

するとそのおっさんが「いやぁ、お待たせ」というじゃないか。え?この人があの人?

四半世紀前のストーンウォッシュのジーンズからのぞく白い靴下。黒い革靴。紺ブレに白髪まじりのボサボサ頭。で、でも、確かにあの眼鏡だ。私は動揺を隠し切れなかったが、“洋服はいくらでも後から変えられる。落ち着け落ち着け”と自分にいい聞かせ続けた。

彼はニコニコしながら「お店は決めた?できればちょっとつまむ程度のお店がいいね。飲茶、いいじゃない。じゃぁ、そこに行こう」と言うので二人で飲茶のお店へ入った。そこは高級なお店じゃない。彼に失礼じゃないかとも思ったが、彼は満足そうだったので安心した。

私達はいろいろな話をした。テレビドラマの話、仕事の話、お金の話。一番彼が熱心に話したのは、いかにお金を使わないかという話だった。「節約?そんなこと言ってる奴はお金なんか貯められない。そういう奴らの為に本を一冊書いてやりたいくらいだよ。今出てる本よりよっぽどいいものが書ける」そう言って彼はピータンを口にした。

このあたりから私はだんだん疲れが出始めた。なぜなら全然笑えない。“笑みを絶やさない”というのがその日の課題だったから、始終私はニコニコ話を聞いていたが、それがだんだん辛くなってきたのだ。だが、それが功を奏したようで、彼は「僕はあまり人に受け入れられないんだ。だから君みたいに一生懸命話を聞いてくれる人と食事をしたのは本当に久しぶり。すごく嬉しいよ」と言ってくれた。その時の彼の寂しげな横顔を見て“私、もしかしたらこの人のこと理解できるかもしれない。きっと私が唯一の理解者になれる。彼の貯金で夢のような専業主婦生活が送れるかもしれないわ”とその時はまだそんな甘いことを考えていた。

だが、やはり彼は難しかった。IT関連の仕事をしているのに家にパソコンがないという。調味料はもったいないから一切ない。そのくらいならまだいい。会社の歓送迎会等は時間とお金の無駄だから一切いかないという。人よりお金の方がよっぽど大事なのか・・。私もケチだが、彼は桁違いのケチだった。

2時間ほど話した後、彼が会計を済ませてくれた。レシートをしばらく眺めた後、店員を呼んでレシートの内容についてもめはじめた。結局和解し、お店を出た。私はこれまでデートの会計の際、レシートをチェックした男を見たことがない。“なぜ今日それをするんだ。今日ぐらいは我慢してくれ”そんなオンナ心は彼には想像もつかなかったことだろう。

彼は車で来ていたようで、私を近くの駅まで送ってくれると言う。“え?車なんてとんでもないんじゃないの?”私の心の声が聞こえたかのように「あぁ、これ?隣のおじさんに借りてきたんだよ。その代わりパソコンの修理をする約束をしてね。今日は帰ったらすぐやるんだ。日曜日の夜は8時には家にいたい。だから、そろそろ帰ろう」とにっこり笑った。「・・・はい。」駐車場料金は800円だった。私は食事をご馳走になったから駐車場料金を払おうとバックからお財布をゴソゴソ出そうとしていた。彼は何も言わず私が財布を取り出すのを待っていた。そして千円札を渡すと「これくらいいいよ」と言いながら受け取った。

彼がもっと私の話に耳を傾けてくれていたら、違った展開があったかもしれない。だが彼は、会話の途中で「僕はね、自分の価値観を否定されるのが一番いやなんだ。それはすなわちこれまでの僕そのものを否定するのと一緒だからね」と言っていたのだ。だから私は言いたいことがあっても、何も言わずただニコニコしていた。その席で激しく議論をするほど彼に対してもう興味はなくなっていたのだ。

「君一人くらいいくらでも養ってあげるよ」この言葉はちょっと魅力的だったが、こういう相手と生活すると常に相手の顔色を伺わなければならないだろう。どうせ一緒に生活するなら、私の顔色を伺ってもらいたいってもんだ。

エリートじゃなくたっていい。
チマチマ働いてくれて、私の話に耳を傾け、くだらない事で笑える相手。そんな相手と一生を共にできればそれで私は充分幸せだ。

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2005年06月14日

いいとこだらけの私

欠点は誰にでもあって、実は自分が一番良く知ってたりする。でも、そうそう簡単に欠点は克服できるもんじゃない。だが、人は皆一生懸命悩み、欠点をなんとかしようとする。私だってそうしてきた。が、もう開き直った。これは生まれつきでどうしようもない。一生直んない。だったらそんな苦しいことするより、いいとこ探しした方が人生楽しく過ごせるってもんだ。ってことでいいとこ探しを始めてみよう。

例えば私の場合、恋愛をしている時一番欠点がアラワになる。
思ったことをとことん言わないと気が済まないタチで、彼を思い切り責めまくるのだ。過去に遡って「あの時もそうだった」「この時もそうだった」とグチグチ鬼の形相で言いまくる。そんな鬼、私だって怖くて嫌だ。それで何度も失敗し、大事な人が私の前から去っていった。そのことで随分悩み苦しんだ。が、今でも私は変わっていない。相変わらず鬼になる。人間そんなもんだ。

そこで視点を変えてみる。

私は鬼になっている間も相手の表情を見て、彼の言い分を冷静に聞くことができる。そう、私は聞き上手だったりするのだ。感情的になっている時でさえ、きちんと相手の話を聞ける。これはいいとこだ。そして、どんなに言いまくっていても決定打は絶対言わない。私は二人の仲を良くしたくて喧嘩をするのだ。相手が傷つくようなことは決して言わない。これもいいとこ。

言い終わって一晩寝てすっきりすると、反省モードにちゃんと入る。“私間違ってた。彼がそういう気持ちでいたなんてわかんなかった”と気付く。これもいいとこ。

だが、問題はその後だった。反省の気持ちを彼にきちんと伝えられない。顔を見るとなんだか憎たらしくって、素直に反省の意を表せなくなってしまうのだ。これはすごくもったいない。せっかくのいいとこが台無しじゃないか。いいとこを生かす為に反省の気持ちを伝えればいい。たったそれだけのことだ。

それを、“私は言いすぎるからいけないんだわ。もっと気持ちを抑えなくちゃ”なんて考えるからややこしくなる。そんなことしたっていつか爆発するものだ。だったら“あ〜、またやっちゃった”と思ったらすぐ、「あれからよく考えたの。私、間違ってた。気が付かなくてごめんね」とこちらを強調すればよい。

自分が相手に許してもらうだけでなく、相手のことも必ずどこかで許しているものだ。それでも離れていく相手なら、相性が悪かっただけのこと。そう思って欠点見つめて悩むより、縁ある相手と切磋琢磨しようじゃないか。

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2005年06月13日

お隣の食卓

とあるレストランで、30代〜40代と思われる主婦7人組が大きな声でおしゃべりをしていた。私でなくとも充分内容が聞き取れる音量だ。
どうやら子供つながりのお母さん同士で、皆専業主婦らしい。話の中にチラホラ“それって自慢?”と思うような言葉が出ていたりして、最初は“うるさいな。これだから専業主婦は・・・。”と思っていたが、聞いてるうちにだんだん会話に引き込まれていってしまった。

最初は自分の行っている公園の話だった。
どうやらその奥様は高級住宅街に住んでいるらしく、芸能人をよく見かけると言っていた。周りは「え〜、羨ましい!!、森高ってどうだった?」「全然普通のヤンママって感じだった。江口もね、思ったより小さくてたいしたことないのよ」みたいな。“ふ〜ん、そうなんだ”

次はダイエットの話。
どう見てもダイエットの必要などない人たちが真剣に、「CMの間に足あげるの。アレ結構きついのよ」「そうそう、意外と辛くて効果ありそう」「へぇ〜、私もやってみようかしら」この話は結構長く続いていた。

そして私が一番引き込まれた話。毎日の食卓についてだ。
高級住宅街にお住まいの奥様が、夕食の支度に毎日3時間かけているというのを耳にしてびっくりした。
どうやら、子供の食欲が尋常ではない上、旦那様が品数が少ないと文句を言うらしい。量をたくさん作らなくてはならないこと、何品も作らなくてはならないこと、そのせいで3時間かかってしまうのだという。

それを聞いた奥様方は、皆それぞれの食卓について語り始めた。
どうやらどこの家の旦那様も結構うるさいらしい。「お刺身はご飯のおかずにはならない」とか、「うちはから揚げもダメよ」とか。「カレーライスにする時は、必ずカツカレーとかカレーのルーの他に何か入れないとダメ」だとか。。奥様方は皆それに従って、毎日頑張っているようだった。

私が育ち盛りの頃、我が家の食卓は、いつも量ばかり多く、品数はあまりなかったように思う。それでもやはり、父に対しては一品か二品は多く出していた記憶がある。

7人組の奥様達の旦那様はおそらく私とそんなに変わらない世代だろう。それでもまだそんなにうるさいのか。。父の世代とあまり変わっていない。
私の親の世代は、まだまだ専業主婦が多く、旦那様たちは一生懸命食事の支度をするお母さんに育てられたのだろう。そして、それを奥様に求める。。

スイスの姉のうちでは、普段の食卓は二品くらい、簡単にできるパスタとサラダ。アメリカのホームステイ先でも普段は本当に簡単な料理ばかりで、質素なものだった。どちらもお客様が来る時は腕を振るうが、普段は手の込んだ料理はあまりしない。
やっぱり日本の奥様は大変だ。

豊かな食生活は幸せの原点だと私も思う。
だが、夕飯の支度に毎日3時間もかける必要があるだろうか。日本の食卓もご飯におかず二品。こういう決まりが浸透すればいいのに。。

私は豆腐と明太子と炊きたてご飯で何日でも満足できる。
だが、結婚したらそうはいかない。毎日献立を考え、重い思いで荷物を持ち帰り、文句言われないように料理する。私にそれ、できるかしら?

私がレストランを出る頃も、まだまだ奥様方は大きな声で盛り上がっていた。今日くらい何もかも忘れて思いっきり飲み明かしてくれ。
そして周りのテーブルのお客さん、かなりうるさいけど見逃してやってくれ。そう願いつつお店をあとにした。

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2005年06月12日

時は金なり

最近、時間についてよく考えるようになった。
一日は24時間でそれは誰にとっても同じで平等だが、元気で自分のしたいことができる時間は、人それぞれで決して平等に与えられたものではない。

そんなことなど考えもしなかった昔、時々遊ぶ仲間に、ひどく時間にルーズな子がいた。彼女は明るく人気者で皆を引っ張っていくリーダー的存在だった。だが、彼女はいつでも遅刻をしてくる。それも10分や20分ではなく1時間単位で遅れてくるのだ。そして驚いたことに彼女と親しくしている友人たちはそのことについて怒っている様子は全くなく、“いつものことだから”と笑って一時間以上も普通に待っていた。

私は何度か待たされるうち、我慢ができなくなった。
なぜなら、彼女はどんなに遅れても笑いながらやってきて、「ごめん。ごめん、さぁ、行こう」と平然としているのだ。そして誰も何も言わない。私は真剣に「なんで遅くなったの?」ととりあえず理由を聞いてみた。すると「まぁ、まぁ、落ち着いて」と言ってお茶を濁された。そういう小さいことを気にするなと言わんばかりの返答だったのだ。

そのうち私は気が付いた。彼女は遅れることにまったく罪悪感を持っていない。どころか、確信犯だったのだ。約束に間に合うように時間を逆算して身支度しようなんて気持ちは最初から全くない。待ってる友人達の事などなんとも思っていないのだ。そういう人を友人と呼べるだろうか?私はだんだん彼女とその仲間達と疎遠になっていった。

私も必ず時間を守れるわけではないが、少なくとも誰かと約束をしたのなら、間に合うことを前提に行動をする。だが時には、髪型が決まらないとか、渋滞したとか、とりあえず理由があって遅刻することはある。が、遅れるのがわかっていて、それでも自分の時間を優先し、人を平気で待たせる。そういう神経は持ち合わせていない。

時間には限りがある。
自分ひとりで生きていくなら、どんな時間の使い方をしてもいいだろう。
だが、もし、誰かと時間を共有するのであれば、相手の時間の大切さを理解できる人でありたい。

ところで、私は眠ることをこよなく愛す。眠る時間がこの世の幸せ。
だから、寝ているのを邪魔されるのが何より辛い。
家の前の公園では、毎朝6時に人が集まり皆でラジオ体操を始める。
そのラジオの音でどうしても目が覚めてしまうのだ。聞きなれたあのラジオ体操の音楽。“次は屈伸だったな”、とか“大きく息を吸って”とかいちいち考えてしまうじゃないか。

でも、誰も悪気はない。さわやかな朝を迎え健康になろうとしているだけだ。
文句のひとつも言いたいところだが、善良な市民を前にさすがに言い出しづらく、悶々と目覚める朝が続いている。
いっそのことラジオ体操に参加しようかと今では真剣に考えている。

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2005年06月11日

鮮度

先日、美容院で順番待ちをしていると、後から20代後半と思われる男性が入ってきた。「いらっしゃいませ。ご指名はございますか?」と受付の派手目な女の子が彼に聞いた。すると彼は「上京したてのCカップ以上でお願いします。」と言ってお姉さんをからかった。一瞬受付のお姉さんは「は?」という顔をしたが、彼はなんとなく憎めない感じの人で、ニコニコしながら「すんません。。」と言ったので、受付の女の子はキャハハと笑ってその後も彼と楽しそうに話していた。

しかし、私の頭には衝撃が走った。なんてこった。
こんな短い言葉で男心を完璧に表現してしまうなんて。。
彼には感服した。

“上京したてのCカップ以上”
ひたむきで危なっかしくて、支えてあげたい。だが、体は弾けんばかりの肌で美乳。そういう女の子を想像した。男の人って皆心の中ではそういう子を求めているのではないだろうか?

私はふと昔の自分を思い出した。

学生の頃、実力をかわれたわけではなく、「人が足りないから、臨時で」という理由から学習塾の講師をしたことがある。
緊張した面持ちで面接を受けに行くと、そこには優しそうなお兄さん塾長が私を待っていてくれた。そして、一言二言話した後、塾長は「一つだけお願い。なるべく年上に見える格好で来てくださいね」とだけ言った。私はその時、まだ19歳だったのだ。

小学校3年生から中学校3年生までの国語と英語のクラスをいくつか受け持つことになった。そこは少人数制の学習塾で大きなクラスでも6人まで、小さいクラスはマンツーマンだった。
私以外の先生は立派な大学に在学中か、または卒業している人達で、そんな中、私は不安をたくさん抱えたまま授業を始めることになった。

手がかかる子ほど可愛いというが、私が一番力を入れていたのは、中学3年生の男の子6人のクラスだった。授業は一年生の内容のおさらいから。皆それぞれ個性的で、最初から最後までノートに絵を書いてる子や、授業の内容には全く関係ない質問ばかりしてくる子、一生懸命授業をニコニコ顔で聞いているから質問すると、まったく聞いてないことが判明した子。そんな子達が可愛くて、とにかく無我夢中だった。気持ちが通じたのか、生徒達もだんだん私を受け入れてくれるようになっていった。

ところがある日、ひとりの男の子が私の授業をボイコットすると言って、教室から出て行ってしまったのだ。私はもうどうしていいかわからず、すぐに塾長の所へ飛んで行き、泣きべそをかきながら状況を説明した。すると塾長は「大丈夫。彼のことは私にまかせて、授業に戻って。絶対生徒の前では泣いちゃだめだよ」と言って塾長は彼の後を追ってくれた。私はなんとか授業を終えたが、情けない気持ちでいっぱいだった。

それから数日後に、彼らは修学旅行へ行った。そしてボイコットの彼が私のところへつかつかとやってきて、小さい袋を手渡して去っていった。中を見ると“Kyoto"とかかれたキーホルダーが入っていた。私は、彼の後姿に向かって「私にくれるの?」と言うのが精一杯であとは言葉にならなかった。胸が熱くなり涙をこらえるのに必死だったのだ。

さらに数日後、中学2年生の女の子4人のクラスへ授業をしに行った。すると今度は全員に私はボイコットされてしまったのだ。全員後ろ向きで座っている上、参考書を誰も持ってきていない。私が何を言っても反応しない。どうしようもなくなってまた塾長のもとへ走った。その時既に私は泣いていた。塾長は私を見るなり「もう今日は、教室には戻らないでね」と言って、私の尻拭いをしてくれた。
後で聞いた話によると、その女の子の中に、ボイコット少年を好きだった子がいて、私がお土産をもらったのを見て、気に入らないからボイコットしてやった、ということだった。

その日、私はずっとメソメソしていた。自分の力の無さが情けなくて仕方なかったのだ。どうしたらもっと上手にできるだろう。どうしたら塾長に迷惑をかけないで済むのだろう。。

あれから十数年。
もし、今の私が同じような状況になったらどうするだろうか?
おそらく何の動揺もせず、てきぱきと問題を解決し、塾長に意見さえするかもしれない。

Cカップ以上は別として、19歳の私には“上京したて”の雰囲気が間違いなくあった。だが今の私は、何でも自分でできる強い女で、泣き虫だったあの頃の面影は殆ど無い。

でも、本当は上京したての女の子より弱かったりするのだ。
だが、今弱さは簡単には見せられない。もうあの頃の私に戻ることはできないのだ。

だが、強い女がときより見せる弱さにグッと来る男もいるはず。
だから私は、これからも強い女を演じて生きていく。

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2005年06月10日

画像Up

今回はお知らせです。

<My Favorites>というコーナーを設けました。

そこに、これから少しずつではありますが、
画像をUpしていこうと思っています。

文章ともども写真もよろしくお願い致します。

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感謝の気持ちでいっぱいです。今後ともよろしくお願い致します。

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